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【2】ボランティア休職中の活動概要

 さて、2年間のボランティア休職中に行った活動の概要をご紹介します。
 1年目は、「まずは地元の障害のあるひとと直接ふれあう機会を十分につくろう」と考えて、施設2箇所にほぼ毎日通う活動(後述の①と②)を中心に取り組みました。そして2年目は、「地域で個人を支える活動」と「啓発活動」に軸足を移して、地元の市民グループの活動(③と④)を中心に取り組みました。
 2年間というまとまった期間は、人生の中でもなかなか取れません。そこで、異なる環境で多様な考え方にふれ、今後の活動を考える刺激にしたいと考えて、海外での活動(⑤と⑥)も組み込みました。また、ボランティア活用の可能性と課題について理解を深めるために、ボランティア団体の運営(⑦)にも関わりました。あわせて、資格の取得(⑧)にもチャレンジしました。
 全体としては、現場での活動をベースに、活動の振り返りと将来の展望を繰り返し考えながら活動を組み立てるようにしました。そして、常に「まじめに、貪欲に、行動的に」を心がけました。

 それでは、個々の活動の概略をご説明します。

①知的障害者通所更生施設「でい・さくさべ」
 最初の5ヶ月間に週4日通い、さまざまな活動に参加しました。このとても濃い5か月間で、障害とボランティアについての考え方のベースを得ることができました。私は近所の一般の人として利用者さんと自然に関わって、お互いに刺激を与えあうように心がけました。そして、「全ての人は得意・不得意や共通点・相違点があることにかわりない。」と、考えるようになりました。
 その後も週1~2日定期的に訪問し、利用者さんとの関係を継続的に深めていきました。後半は、利用者さん個人とのつきあいを重視して、個別に外出することが多くなりました。

②身体障害者療護施設「ディアフレンズ美浜」
 「でい・さくさべ」に通った後の5ヶ月間、週2~3日通って日常生活の介助や活動の支援を行ないました。身体障害者の施設なので、食事や移動の介助が多かったのですが、ボランティアの自由な立場を生かして、利用者さんと時間をかけてふれあうなど、+αの活動を心がけました。
 後半は、利用者さん個人との外出も行ないました。利用者さんが自立生活センターに行く際に何度か同行したのですが、障害のあるひとの自立をとりまく現実にふれることができ、貴重な経験となりました。

③市民団体「パートナーシステムちば」
 知的障害のあるひとと外出する活動「ビー・フレンズ」に、6回参加しました。「地域で支援する一般のひとを育てる」という活動に惹かれて参加を決めました。保護者やメンバーとの会合に出席したり、団体としての助成金選考会でプレゼンをお手伝いしたりしました。この活動を通じて、「施設に通って介助するというよりも、地域での個別の支援を大切にしたい」という、今後の活動の方向性を再確認できました。

④市民団体「市民福祉活動センターBit」
 「障害当事者による福祉啓発活動」を行っている団体で、小中学校の福祉講座で4回、運営を手伝いしました。あわせて、この団体が主催する「ガイドヘルパー養成講座」に、事務局と受講生として参加しました。その後、啓発活動の推進は私の夢になっていくのですが、休職中のBitの活動はその発端となったものです。

⑤ニュージーランド(2003年夏)
 知的障害者グループホームに2ヶ月間住み込んで、日常生活支援、家事、家畜の世話、部屋のリフォームなどを行ないました。2ヶ月間毎日寝食をともにする活動は密度が濃く、たいへん有意義なものでした。ここでも彼らに刺激を与えることを期待され、ボランティアの意義を再認識することになりました。福祉先進国の状況を体感できて、新しい取り組みにもふれることができました。

⑥アイルランド(2004年夏)
 身体障害者ホリデーホームに1ヶ月間滞在して、ゲストとの交流、日常生活支援、イベントの運営、食堂の補助などを行ないました。仕事は自主的に決めて行なうことを求められ、「ボランティアは自分で役割と居場所をつくりだすもの」ということを改めて認識しました。外国人として活動するなかで、障害者に理解があっても人種に偏見をもつ人もおり、違いに対する感情や無知が差別に結びつく仕組みが少し見えた気がします。

⑦NGO「赤十字語学奉仕団」
 語学を手段に障害者を支援する団体です。休職前から参加していたのですが、休職中も活動を継続しました。2003年度は、介助ガイド活動の「コーディネーター」として運営に関わりました。主要な2本の活動に30人、50人のメンバーを派遣するなど、活動依頼者とメンバーの調整を行ないました。
 コーディネーターの仕事を通じて、依頼者と活動者の認識を近づけることの重要性と、それぞれの思いで参加しているメンバーをまとめることの難しさを感じました。メンバーとしてもさまざまな障害と文化をもつひとの介助ができ、視野を広げることができました。

⑧資格取得
 「ホームヘルパー2級(訪問介護員)」と「知的障害者ガイドヘルパー(知的障害者移動介護従業者)」の資格を、期間中に取得しました。

 休職中の活動の主要な成果は、次の通りです。

 ◆障害のあるひとについての理解が深まり、知識や技術も身についた。
 ◆ボランティアについての、自分のスタイルをつくりあげることができた。
 ◆地域での交流範囲が拡大し、人的なつながりを築くことができた。
 ◆これらによって、今後の活動の基盤を得た。
 ◆上記の過程を通じて、自分自身の成長につながった。

お爺さんと看護師

 感想も含めて、もう少し言葉にしてみます。

①障害について
 さまざまな障害、人種、文化、宗教のひとと多く接するなかで、「全てのひとは得意・不得意や共通点・相違点があることにかわりない。」と考えるようになりました。ひとはどうしても違いを見つけて特別な感情をもつ傾向がありますが、共通点と相違点をありのままに楽しみたいものです。そして、多様なひとびとが地域で支えあって生きていて、障害のあるひともそのなかで自然にあたりまえに生活を楽しんでいる社会にしたいもの。そんな考えが私の中でまとまっていきました。

②ボランティア活動について
 団体に所属するのではなく、活動を自分で組み立ててきたので、全てが手探りしながらの挑戦でした。この試行錯誤を通じて、「ボランティアとは自分で役割と居場所を考え、自分と相手の双方に有意義な関係をつくりだして活動すべきもの」という考えが強くなりました。この「常に自分の意味づけが必要」というのが、ボランティアの難しさなのですが、そこに新しい関係が無限に広がっていく可能性もあるのだと思います。

③勤労者と地域について
 地域にとって勤労者や企業は遠い存在であることを改めて感じました。私は活動を通して地元の知り合いが一気に増えました。地域に住むあらゆるひとが、仕事や趣味、家族、ボランティアなど多彩な接点で地域に参加することで、ひとりひとりの生活が充実するとともに、地域や企業にも活力が生まれていってほしいと思います。

④感謝
 2年間いつも充実している自分を感じることができました。さまざまなひとや価値観にふれたことは、私にとって大きな刺激となりました。新しい自分をつくっていく過程は、厳しさと同時に喜びも多く、自分なりの成長につながったと思います。これらは私を支えてくれたたくさんのひとたちの力がなければ、得られなかったものだと強く感じています。私の活動にご理解とご協力をいただいた、会社および関係者の皆さんに、心から感謝したいです。

 ボランティア休職が終わるとき、「これでボランティアはおしまい」とは、もちろん考えていませんでした。引き続きひとりの地域の人として、近隣にすむ障害のあるひとと関わっていきたいと考えて、復職後も土日に月2日くらいは、できる範囲で活動を継続したいと思いました。
 そして、「ボランティアの仲間を増やしていきたい」とも考えていました。ボランティアへの意欲や興味はあっても、きっかけや機会がないと感じるひとは多く、一方でボランティアが活躍する場面は、これからますます増えていくでしょう。少しでも多くのひとが最初の一歩を踏み出せるよう、私なりに貢献したい。具体的には、自分の活動を紹介する機会を地域や職場でもち、自分と同じ勤労者を中心としたひとたちに、ボランティアの必要性と喜びを伝えていきたい。そんな思いでした。

 将来は、企業と勤労者の力を社会や地域に生かすことにも貢献したいと考えていました。企業の社会貢献と勤労者の地域参加は、社会や地域の側から強く求められていると同時に、企業と勤労者自身にも大きなメリットが期待できます。広い視野と多様な価値観をもち、地域で活躍する社員をもつ企業は、活力にあふれた強い企業であるはずです。社員への啓発、情報と機会の提供、他の企業や地域との連携など、何ができるか検討しながら機会を探っていこうと思っていました。

 そして私は復職し、「毎日ボランティア」という非日常から、「普段は仕事、たまにボランティア」という普通の生活に戻ります。2年間のボランティア休職は、とても大きな経験でした。しかし、この後の「普通の生活の中でのボランティア」こそ、私にとって意義深いものになっていきます。

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※この記事の元記事(ブログ『ボランティア雑記帳』)
休職中の活動概要
休職中の活動の感想
【3】ボランティアは休職しなくてもできます

 ここで一言、念のためお伝えしておきたいことがあります。あたりまえのことですが、ボランティアは私のように休職しなくてもできます。
 私は、幸運にも会社の休職制度を利用して、ボランティア活動に専念する2年間を得ました。とても充実した期間で、さまざまな活動に取り組むことができ、素晴らしい経験でした。休職したからこそできた活動もたくさんあります。しかし、読者の方が、「私の会社にはボランティア休職制度はない」「制度はあるけど簡単には利用できない」ということで、あきらめてしまったら残念だと思います。

 休職しなくてもできることはたくさんあります。私も、初めてボランティアをしてから十数年が経ちましたが、そのうち休職していたのは2年間だけです。残りの期間は、仕事をしながら月に1~2日程度ボランティアをしてきました。
 そもそも「毎日ボランティアしている」というのは、かなり特別な状態です。ときどき無理なく楽しみながら、普通の生活の一部として社会と関わりのあることをしている、というのが自然でしょう。ほぼ毎日通っていた施設に、その後たまに遊びに行くようになって、かえっておつきあいが自然になった、ということもありました。施設の利用者にとっては、職員さんではないのに毎日通ってくる私は、不思議なひとだったかもしれません。たまに来て雑談をする私の方が、「近所のおじさん」として違和感なく受け入れやすかったのではないでしょうか。

 ですから、私の休職中の活動については、「普通はできない珍しい体験」として読んでいただき、私が「したこと」というよりは「感じたこと」を通じて何かを受けとめていただけたら、とてもうれしいです。
 もちろん、まとまった時間がとれるひとは、休職中の活動を現実的なこととして読んでください。「休職制度を利用しようとしているひと」「退職して新しいことを始めようとしているひと」「お子さんが大きくなって時間がとれるようになたひと」などは、これからのプランのヒントにしていただけると幸いです。

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※この記事の元記事(ブログ『ボランティア雑記帳』)
ボランティアは休職しなくてもできます

車いす
2015.05.25 活動の原点
第3章 同じ時間を過ごす
 ~障害者施設で介助~


【1】活動の原点

 ボランティア休職の期間に入るにあたって、私は「まずは地元の障害のあるひとと直接ふれあう機会を十分につくろう」と考えました。それまでも、障害のあるひととふれあう機会は何度もありましたが、単発の活動だったため、まだ自信のようなものがありませんでした。そこで、地元の障害者施設にほぼ毎日通うことにしました。
 その施設は、自宅から徒歩15分の所にある知的障害者通所更生施設(当時)です。選んだ理由は「ただ家から近いから」。後で気づくのですが、この施設はとても素晴らしいところで、最初にここに通うことができて、私は本当に幸運だったと思います。
 
 施設の概要は、次の通りです。
・在宅の知的障害者に日中活動の場を提供し、各種の支援を行なう施設。
・職員約20名。利用者約60名。18歳以上の成人。年齢・障害の内容・重度はさまざま。
・作業を中心とした日常活動と、クラブ・委員会・サークル活動等を行なう。

 日常の活動は、作業内容によって7つのパートに分かれて活動していました。私は全てのパートに参加させていただきました。
①「屋外作業」(地域清掃、木工、園芸、空缶作業)
②「室内軽作業」(ウォーキング、部材組立て、空缶作業、音楽)
③「織物」(結び織、機織、クロスステッチ、ミシン)
④「食に関する活動」(昼食の配膳、パン・惣菜の調理・販売)
⑤「屋外作業」(空缶作業、部材組立て、缶回収・納品、園芸)
⑥「陶芸」(粘土作り、作陶、仕上げ)
⑦「デイサービス」(陶芸、手芸、織物、屋外作業)

 日常の活動以外にも、さまざまな活動に参加させていただきました。
 クラブ活動が週1回あって、ソフトボール・美術・音楽・散歩・体操・ワープロのクラブに参加しました。また、施設の運営に利用者さんが主体的に関わることを目的として、8つの委員会が月1回程度の活動を行なっていました。私は、余暇・販売・広報・旅行・放送の委員会に参加しました。ちょうど、利用者自身による初めての自治会役員選挙が行われるときで、その準備会合にも同席させていただきました。
 イベントやサークル活動といったレクリエーション行事も多数ありました。サーカス・ボーリング・水族館に出掛けたり、中華料理をみんなで作って食べたり、知的障害者運動競技会の応援や障害者の美術作品展覧会に行ったりもしました。その他にも、作業で組み立てた建築部材や、木工・陶芸等の作品を納品に行ったり、近隣の公園のボランティア清掃活動、利用者さんと私の誕生会など、本当にいろんなところに利用者さんと出掛けて、さまざまな活動を経験させていただきました。
 昼食は、施設の食堂で利用者さんと一緒に同じ給食を食べて、食後の昼休みには毎日利用者さんと野球をしていました。後半になると、休日にプライベートで利用者さんと千葉マリンスタジアムでプロ野球観戦したり、数人とボーリングに行くようになりました。
 この施設はグループホーム(当時)も運営していて、施設の利用者さん4人が世話人さんと一緒に共同生活をしていました。施設での活動終了後に何度かグループホームを訪ねて、利用者さんと一緒に夕食を調理して食べたり、部屋で利用者さんと話をしたりして過ごしました。

活動の原点

 最初は「どうとけこむか。どう役に立つか。」と力が入りすぎていましたが、利用者さんと一緒に自然に活動するように心がけた結果、思ったより早く人間関係を広げ、深めることができました。毎日の利用者さんとのさまざまな関わりを通じて、彼らがどんな日々を過ごしどんなことを感じているかが、だんだんわかってきました。ある利用者さんが、ある日突然私を受け入れてくれて、嬉しいやら戸惑うやらという経験(後述します)をしたり、別のひととは連絡ノート(交換日記のようなもの)をやりとりして急に距離が近づく、といったこともありました。
 そんななかで強く感じたことは、「たくさんの利用者さんは、それぞれ個性と特徴をもったひとりの人である」ということでした。障害の種類・重度の違いのみならず、年齢・環境・好き嫌い・得意不得意などもひとりひとり異なる。周りの人と共通点と相違点がある「ひとりの人」であることに、自分となんら変わりない。あたりまえのことですが、利用者さんと同じ時間を過ごしていくにつれて、そう思うようになっていきました。

 一方で、この施設はとても素晴らしいところだということに、だんだん気づいていきました。職員さんは熱意と良識があって、利用者さんも満足している様子でした。利用者さんをひとりの成人として尊重し、本人の視点でその意思を重視していました。情報開示にも積極的で、施設外からの意見を常に歓迎していました。
 しかし、全く外の世界から突然やってきた私から見ると、「福祉の世界はまだ閉じている」と感じました。職員さんには家族に福祉関係者をもつひとも多く、ボランティアも福祉就職を目指す人が目立ちました。地域との関係は大変良好でしたが、作業の依頼元や協力者は限られていました。社会への啓発・交流等のさらなる働きかけが、必要だと改めて感じました。
 そんな中で、初めての長期ボランティアである私に、施設長から提言を求めらました。「外から見て、もっとこうしたらいいのではないか、ということを遠慮なく言っください」とおっしゃるのです。そこで、会社に提出する「活動報告書」を職員さんで回覧してもらいました。さらに、施設の広報誌に提言を寄稿させていただきました。(寄稿内容は後述します)

活動の原点2

 もうひとつ、ボランティアの役割について考えることも多かったです。施設側はボランティアに労働力を期待せず、地域の理解促進、外部視点の導入、利用者への刺激を目的として受け入れていました。最初の頃、トイレ介助を申し出たところ、施設側から「利用者さんのプライバシーの観点から、お願いできない。」と断られました。これまでのボランティア経験では、会ったその日にトイレ介助を行なっていましたが、利用者視点から考えれば不適切だったかもしれません。
 ボランティアのすべきことと、すべきでないことがある。ではボランティアとは何か。自分には何ができるのか。それは、支援者でも家族でもない『近所のおじさん』として、利用者・自分の双方に意味がある人間関係をつくることではないか。利用者と「一般の人」とのこの人間関係があたりまえになると、地域福祉社会が実現するのではないか。そんな風に考えるようになりました。

 楽しいばかりではありませんでした。それまでもボランティアの経験はそれなりにあったものの、まだまだ障害(特に知的障害)のあるひととどう接すればよいか不安がありました。そして、マンネリ・疲れ・迷いを感じるスランプの時期もありました。ボランティアは、自ら存在意義を見つけてそれを周囲に承認してもらう必要があります。私は自分の存在意義を自分なりに定義して、それを日々の活動で意識するよう心がけました。この「常に自分の意味づけが必要」というのはなかなか厳しく、それによる迷いと疲れに悩まされました。幸い利用者の笑顔と職員さんの協力に励まされて乗り越えられましたが、「ボランティアとは?」という永遠の疑問について、何度も考える機会になりました。

 このように、この施設での活動によって、ボランティアについての考え方のベースを得ることができました。これが、今でも私の「よりどころ」になっています。まさに「活動の原点」です。休職の最初にこのようにとても有意義なスタートを切れたのは、施設長をはじめ職員さん、利用者の皆さん、ご家族、近所の方々のおかげだと思います。心から感謝しています。

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※この記事の元記事(ブログ『ボランティア雑記帳』)
 活動の原点「S」(1)(2)(3)(4)(5)
【2】初めて受け容れられた瞬間

 この知的障害者施設の関連のエピソードを、2つほどご紹介します。

 ひとつめは、比較的重い障害のある利用者さんに、初めて受け容れられた瞬間についてです。
 この施設で活動を始めたとき、一番最初は最も障害の重い利用者さんのグループに入れてもらいました。車椅子を利用する方が多く、食事やトイレの介助が必要な方がほとんどです。言葉によるコミュニケーションは、ほとんどできません。
 私はしばらくの間、どのように彼らとふれあえばよいのかわからないまま、過ごしました。手を繋いで散歩に行き、一緒に簡単な作業をし、隣でお茶を飲みました。これでいいのか、いけないのかもわからず。職員さんは「一緒にいていただければいいんじゃないですか」と、優しく見守ってくださいました。

<よく一緒に行った公園に咲いていた花>
千葉公園の蓮

 そのグループは、数人からなっていました。日によって、ふれあう利用者さんは違いました。私は一人ひとりと、「とにかく同じ時間を過ごすしかない」と思って、施設に通いました。「Sさん」は、そのグループの中でも「同じ時間を過ごす」ことが比較的多い人でした。彼は散歩のとき手を引く必要があるため、私が一緒に歩くことが多くなっていました。そして食事のときも、職員さんに教わったやり方で、簡単な介助をほぼ毎日していました。
 Sさんはときどき、独特の声をあげます。言葉にはなりませんが、心から湧き出てくるような声です。具体的に何かを表現しているわけではないかもしれません。でも、聞いている私も何か答えたくなるような声です。
 Sさんが声をあげたとき、最初は見守るだけでした。でも、そのうち彼に答えたくなってきました。そこで、私はSさんと同じような声を出したり、身体を軽くたたいたりして、「答え」てみました。散歩から帰ってきたあとの休憩時間など、しばらくそのやりとりをするようになりました。

 2週間くらい経った日でしょうか。そんなやりとりをしていたとき、Sさんは私の顔をじ~っと見つめました。斜め下から見上げるようにして。そして、私に向かって声をあげました。普段は誰に向かってということなく、独り言のように空中に向かって声をあげていたSさん。この日は、私を見て私に向かって声をあげていました。それを見た職員さんが微笑みながら言いました。
 「あ、SさんがGAMIさんを受け容れようとしてる」
 私は「え?そうなの?」と戸惑いながら、とても嬉しくなりました。確かにそれまでの様子とは違いました。彼にしてみれば、「なんだか最近よくそばにいるヤツだな」という程度の反応だったのかもしれません。でも、とにかく「私を意識してくれた」ということだと思います。
 私はこのときの職員さんの言葉を、今でもはっきり覚えています。この職員さんは、私のことを少し心配しながらも、毎日温かく見守ってくれていました。そして、この日の様子を見てSさんの変化に気づき、先ほどの言葉をかけてくださいました。職員さんも嬉しそうでした。

 前述の通り、私は既に何度かボランティアの経験はありました。障害の重い方の介助も少しだけしたことがありました。
でも、いつも単発で1日限りのおつきあいでした。ですから、この日の経験は私にとって初めてのことでした。毎日ゆっくり何度もたっぷりと、同じ時間を過ごした結果。「初めて受け容れられた瞬間」でした。

ごく普通の幸せな休日

 ふたつめのエピソードは、ごく普通の幸せな休日の出来事です。
 ボランティア休職から復職して、数年たったある日のことです。この施設には、復職した後もときどき遊びに行っていました。そしてバザーに行ったとき、「またどこか遊びに行きましょうか」という話になりました。約束の日の一週間前、電話で待ち合わせの場所と時間を決めました。
 当日は、「昼食→ボーリング→街歩き→お茶」とごく普通の休日を、みんなで楽しみました。事前に決めていたのは「ボーリング」だけで、あとはみんなで「お昼どこで食べる?」「次どうする?」と話し合いながら決めていきます。途中、小さなトラブルがあったりするのも、やっぱりごく普通の休日です。

 彼らは日常のことは自分でできますので、私が手伝うことはありません。「最近どう?」「職員さん元気?」「もち、たくさん食べた?」などと無駄話をしながら、一日を過ごしました。彼らとは一時期ほぼ毎日顔を合わせていたので、久しぶりに会っても心を許してくれます。私にとっては、充実して楽しかった頃のことを思い出しながら、彼らとのやりとりを楽しむのは、幸せな時間でした。彼らが私との時間を楽しんでくれている様子をみると、これもまた嬉しかったです。

 この頃私は既に、「ボランティア」「活動」という言葉に違和感を感じるようになっていました。そういう言葉はわざわざ必要なく、私たちは「ただ一緒に、ごく普通の幸せな休日を過ごしていただけ」でした。
 当時私は、引越をきっかけにプロ野球の千葉ロッテマリーンズのファンになっていました。この日、私は彼らに次回のお誘いをしたのですが、それは「私の野球観戦につきあってもらう」というものでした。「私が彼らが行きたいところにボランティアとして同行する」のではなく、「彼らと私が相談して一緒に行くところを決める。(私につきあってもらうこともある)」という形です。
 その後、私の活動スタイルは、「地域の友人として自然におつきあいする」という方向に向かっていきます。

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※この記事の元記事(ブログ『ボランティア雑記帳』)
 初めて受け入れられた瞬間
 ごく普通の幸せな休日
【3】福祉の世界は閉じないで

 前述した、この知的障害者施設の広報誌に寄稿した記事をご紹介します。

 この記事は、広報担当の職員さんから、「広報誌に載せたいので、福祉業界を外から見て感じたことを書いてほしい」とご依頼いただき、書いたものです。この施設は「外部の意見を積極的に聴こう」という考え方をもっていました。私への依頼も、その一環だと思います。
 私が記事を書いて「気になるところがあったら修正しますから、ご遠慮なくおっしゃってください。」と言いながら原稿を渡すと、職員さんは、「いえいえ、修正なんてしてしまったら意味がありません。書いていただいた原稿をそのまま掲載させていただきます。」とおっしゃいました。そのオープンな姿勢に、とても感銘を受けました。

<ケーキを作ったときの様子>
福祉の世界は閉じないで

*** 以下、寄稿した記事 ***

 食品メーカーの会社員ですが、2月から休職してボランティアとしてほぼ毎日通っております。こちらの施設は利用者尊重・情報開示が徹底していて、職員さんも熱意と良識があり、素晴らしい施設だと思います。さて、このたび「福祉業界を外から見て感じたこと」の寄稿をご依頼いただきました。誠に僭越ですが率直な気持ちを少し述べさせていただきます。

 今、私が一番感じていることは「(障害者)福祉の世界は閉じている」ということです。職員さんには家族に福祉関係者をもつ方が多く、ボランティアには福祉就職を目指す学生さんが目立ちます。福祉に関わる人はなかなか広がらず、「一般の人」からは一部の特別な立派な人達と考えられています。福祉は家族と専門家が行ない、「一般の人」は彼らに任せて無関心でいる、というのが現状でしょう。その結果、福祉が特別な世界になってしまっています。

 「一般の人」は「福祉の世界」のことをほとんど知りません。職員さんは利用者の力になろうと日々奮闘され、成果をあげていらっしゃいますし、福祉全体の改革も進められつつあります。でも、社会の福祉に対する理解はなかなか深まりません。「福祉の人」は、業務の何%を福祉の外との関わりに費やしているでしょうか。毎日の利用者との関わりや、他の「福祉の人」との調整に終始していないでしょうか。この記事も読者のほとんどは家族を含めた「福祉の人」だと思いますが、「広報」は関係者ではなく「一般の人」に向けて行ないたいものです。「福祉の人」はもっともっと「一般の世界」へ働きかけるべきだと思います。

 逆に、「福祉の人」は「一般の世界」をもっと知ってほしいと思います。以前、異業種交流研修や行政・民間合同研修に参加したことがありますが、異文化との接触はとても刺激的でした。また、福祉業界のような閉じた世界は、適正な競争による効率化の余地はとても大きいと思います。一般企業の激しい競争やスピード感もヒントにしていただけたらなぁと思います。

 えらそうにわかったようなことばかり書いてしまいました。私は数年前から少しボランティアをさせていただいただけで、福祉の専門知識も経験もほとんどありません。浅はか、見当違い、失礼、と感じられるかもしれませんが、今回は「素人だから意味がある」ということで、何卒お許しください。今回は「福祉業界を外から見て感じたこと」というテーマでしたが、「福祉の外」がなくなるのが理想でしょう。さまざまなひとびとが認めあう社会になるために、福祉の世界が開いていってほしいと思います。私も微力ながら「福祉の世界」と「一般の世界」の掛け橋になっていきたいと思います。

*** 以上、寄稿した記事 ***

 当時、感じたままを書かせていただき、それをそのまま掲載していただきました。

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※この記事の元記事(ブログ『ボランティア雑記帳』)
 福祉の世界は閉じないで
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