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2015.06.05 障害とは?
【2】障害とは?

『生まれ変わっても…』

 心に残っている言葉があります。どちらも、地域で出会った人から聞いた言葉です。

 「生まれ変わっても、この人生がいい。家族をはじめとして、たくさんの人に支えられて、とても幸せだから。」<中途失明した女性>

 「今度子どもをもつとしても、この子がいい。障害はあるが、いいところもたくさんある、この子が大好きだから。」<知的障害のある息子をもつ母親>

 障害のある人を「かわいそうな人」「不幸な人」と思う人は、まだ多いようです。もし障害のある人が「不幸な人」だとしたら、「生まれ変わったら、違う人生がいい」と思うに違いありません。しかしこの人達は、「生まれ変わっても、この人生がいい」と明言していました。
 もちろん障害のある人には、幸福な人と不幸な人がいるでしょう。障害のない人にも、幸福な人と不幸な人がいるように。でも、「障害のあること=不幸なこと」ではないということでしょう。

 障害は不便ではあっても、それ自体は不幸ではない。障害者は「かわいそうな人」ではない。障害を理解されないことが不幸である。
 言葉ではわかっていました。でも、このお二人の言葉を聞いて、これらのことが私の胸にストンと落ちました。そして、理解を広めることの大切さを、改めて感じました。あなたはこの話を聴いて、どう思いましたか?

・おしゃれなテラス2

『一人で異国へ行ってご覧なさい』

 自分とは異質な人を見ると、とまどってしまいます。あそこが違う、ここも違う、違うところだらけ。自分は普通なのに、どうしてこの人はこんなに特別なんだろう。こんなに変な人とは一緒にいられない。そんな風に感じてしまいがちです。
 でも、本当にその人は「変な人」なのでしょうか。本当に自分は「普通の人」なのでしょうか。

 異国に行ったら、どんな感じでしょうか。そこには「変な人」がたくさん。あそこが違う、ここも違う、違うところだらけ。周りは「変な人」ばかり。
 いいえ違います。「変な人」は自分なのです。気づくとそこでは、自分が一番異質です。周りの人は自分を見て、「変な人」だと思っています。あそこが違う、ここも違う、違うところだらけ。自分は普通なのに、どうしてこの人はこんなに違うんだろう。こんなに変な人とは一緒にいられない。周りの人は、自分を見てこんな風に感じているかもしれません。

「異質」「特別」「普通」とは、何なのでしょうか?

 休職していた頃、ニュージーランドの知的障害者のグループホームに6週間住み込みでボランティアとして働いきました。そのとき、このことを痛感しました。言葉も文化も民族も価値観も違うコミュニティで、彼らは私を「違うけれども同じひと」として受け入れてくれました。居住者のひとりは、私のことを「言葉もよくわからず、現地のことをよく知らない、助けてやらなければいけないヤツ」と認識して、いろいろと気を遣い、指示し、教育してくれました。現地で最も異質だったのは間違いなく私であり、知的障害のある彼らではありませんでした。

 海外旅行に行ったときに、このことに気づいた人もいると思います。でも、家族や友人と一緒だとそれほど感じなかったかもしれません。同質の人といると、自分の異質性に気づきにくいのでしょう。
 できれば一人で異国に行ってみる。そしてしばらく暮らしてみる。するとわかってきます。「異質」「特別」「普通」とは何なのかが。
 自分を普通だと思っている人には、お勧めします。「一人で異国に行ってご覧なさい。」

・テラスで食事

『障害者に勇気をもらったことはない』

 「障害者がハンディと闘いながら、それを乗り越えて頑張っている姿に、勇気をもらいました。」・・・TVのドキュメントなどの感想として、よく聞かれるコメントです。しかし、私は「障害者」に勇気をもらったことはありません。

 「障害者」から勇気をもらう心理は、次のようなものではないでしょうか。

・障害者は毎日大変な思いで生きている
・常に誰かの助けが必要で一人では何もできない
・何をするのも不便で希望など持てるはずがない
・自分だったら毎日泣いて暮らすだろう

・それなのにこの人は頑張った
・毎日血のにじむような努力をした
・普通の人より断然不利にもかかわらず
・本当に凄いことだ

・障害者はみんな頑張っている
・純粋で欲がなく美しい
・感謝の気持ちを忘れずに謙虚である
・障害があってこんなに不幸なのに

・それに比べて私はどうだろう
・障害者でもないのに不満ばかり言っている
・障害者でさえ頑張ればあそこまでできるんだ
・私も頑張らなければいけない

 障害のある人が頑張ることを否定するつもりはありません。その人が自分をとりまく環境で、工夫したり努力して結果を出したのなら、それは間違いなく素晴らしいことですし、賞賛されるべきことです。ですから、私は「その人」が「そうしたこと」を素晴らしいと思いますし、勇気をもらうこともあります。しかし私がその人を素晴らしいと思うとき、「その人に障害があったから」そう思うのではありません。ですから、私は「障害者」が頑張ったことで勇気をもらったことはありません。障害者という言葉に「 」をつけたのは、そういう意味です。

 人権関連の研修で、次のような話を聞いたことがあります。
 北欧の国に行った日本人が、「障害者の画家を取材しているのだが、紹介してもらえないか」と福祉関係者に頼んだところ、こう言われたそうです。「画家で障害のある人はいますが、障害者の画家はいません」。その人は画家として評価を得ているのであり、障害があるかどうかは直接関係ない。どうして「障害者の画家」を取材したいのか理解できない、ということでしょう。

 「障害者」に勇気をもらう心理には、次のような前提があるように思います。「障害者は不幸である」「能力が低い」「環境が不利である」
 果たしてそうでしょうか。障害があっても、幸せに暮らしている人もいます。能力が高い人もいます。恵まれた環境にいる人もいます。もちろん、全員ではありませんが。
 「障害者」は全員不幸でも全員幸福てもありません。「健常者」が全員不幸でも全員幸福でもないように。全員有能、全員恵まれている、も同様です。

 「障害者」が頑張ったことではなく、「その人」が頑張ったことをそのまま賞賛したい。そんな風に思います。あなたはどう思いますか?

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※この記事の元記事(ブログ『ボランティア雑記帳』)
 生まれ変わっても…
 一人で異国に行ってご覧なさい
 「障害者」に勇気をもらったことはない
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