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第4章 街の友人として
 ~自分の活動スタイルを発見~


 第3章でご紹介したとおり、ボランティア休職の前半は、障害者施設に通ってする活動が中心でした。それが後半の2年目に入ると、自分の活動スタイルを発見して、そちらに軸足を移していきました。
 私は施設での活動を通じて、自分にできることは「支援者でも家族でもない『近所のおじさん』として、障害のあるひとと自分の双方に意味がある人間関係をつくること」ではないか、と考えるようになりました。「ボランティアとして助ける」のではなく、「街の友人としてつきあう」のが、私に望まれていることなのではないか。日本の地域には、障害のあるひとと日常を一緒に暮らすひとが少なすぎる。自分がそういうひとになって、仲間を増やしていきたい。そんな思いが強くなってきました。

 ある日、通っていた施設の入り口の自動ドアに、小さなチラシが貼ってあるのを見つけました。それがこの後ご紹介する「ビー・フレンズ」との出会いでした。この章では、「ビー・フレンズ」をはじめ、街の友人としての活動を4つご紹介します。

【1】ビー・フレンズ(友だちになろう)

 「ビー・フレンズ」は「パートナーシステムちば」が運営している活動です。「パートナーシステムちば」は、千葉市で障害をもつ人が、安心して充実した生活を送れるように活動している会です。障害のある子どもが成長するとともに、家族から離れて地域のひと(マイパートナー)と過ごせるようになることを目指しています。「ビー・フレンズ」は、その一緒に過ごす地域のひとを育てる活動です。私は、「障害のあるひとを地域で支援するひと(パートナー)を育てる活動」という考え方に惹かれました。

 「ビー・フレンズ」のボランティア募集のチラシには、次のように書いてありました。
 「障害があっても、ずっと地域で暮らしていきたい」・・・そんな当たり前の願いを現実にのものにするためには、様々な立場の方の様々な支援が必要です。パートナーシステム千葉のおでかけサークル「ビー・フレンズ」では、障害をもつ子どもたちと一緒におでかけして、カラオケ・ボーリング・遊園地などで遊んでくださる学生さん、主婦、一般の方を募集しています。
・「障害のあるひとと関わりたいけど、どう接したらいいの?」「ボランティアしてみたいけど・・・ちょっと不安」と思ってる方
・ヘルパーの資格はあるけれど、実体験が少なくて障害のあるひととの関わりに自身のない方
・会社員、OLの方も歓迎します

 活動は月1~2回。サポートリーダー1名、ボランティア数名、障害のある子ども数名が参加します。子どもは知的障害のある10~20歳が中心で、子ども1人にボランティア1~2名が一緒に行動します。朝集合して目的地まで移動し、現地で過ごしたあと戻ってきて解散。その後、サポートリーダーとボランティアで、お茶を飲みながら簡単なミーティングをします。
 一度、「ビー・フレンズ」として助成金を獲得するための公開選考会で、ボランティアとしてスピーチさせていただいたことがあります。その内容を読んでいただくと、「ビー・フレンズ」のことをよく理解していただけるのではないかと思います。

*** 以下、スピーチの内容 ***

 私はボランティアとして、昨年5月からビー・フレンズの活動に参加しています。最近はボランティア活動がさかんになってきましたが、「何かやってみたいけれどきっかけがない」、という人は多いのではないでしょうか。ビー・フレンズはそういう人達に、ボランティアの入り口を提供する、とてもよい活動です。初めての人が、おつきあいのしかたを身につけていくには、実際にふれあった上で、経験豊富な講師にアドバイスをもらうのが一番です。1日の活動の後に「今日はとてもいい感じでしたね。次はこうしてみるともっといいかもしれませんよ。」と講師に言ってもらえると、次回の活動が楽しみになります。私は、地域に住む「近所のおじさん」として、障害のある方と自然におつきあいをしていきたいと考えています。そうすることで、私たちボランティアの心も、障害のある方の生活も、豊かになっていくと思います。私の仲間が地域にひとりふたりと増えていくよう、是非ビー・フレンズの活動をご支援ください。

*** 以上、スピーチの内容おわり ***

 この選考会で、31団体のうちトップの評価で助成が決定しました。障害のあるひと自身や家族と一緒に、地域における一般のひとによる支援の必要性を訴え、しかもそれが評価されたことを、とても誇らしく思いました。

 それでは、ある日の活動の様子をご紹介します。実はこれは「失敗談」です。ボランティアをしていると、楽しいことや嬉しいことが多いのですが、もちろん失敗したり反省したりすることもあります。この日の出来事を思い出すたびに、このような経験をしながら、私はいろいろなことを学んできたんだなと思います。

*** 以下、ある日の「ビー・フレンズ」の様子 ***

 その日は「知的障害のある少年1人+ボランティア2人」の組み合わせで、外出することになりました。目的地は、東京池袋の「サンシャイン60」です。ボランティアは私と学生さん(女性)の2人。私はボラ経験はそこそこあったものの、「ビー・フレンズ」は初参加。学生ボランティアさんは福祉系大学の学生で、「ビー・フレンズ」は数回目の参加でした。少年は学生ボランティアさんとは2度目、私とは初対面です。
 朝は三人とも緊張気味でしたが、少年の明るいキャラのおかげで、道中しだいに打ち解けてきました。目的地に着く頃は、三人ともこの外出を楽しんでいました。昼食をとって、いよいよ本日のメインイベントの「60階の展望台」。エレベーターで一気に最上階へ。降りるとチケット売り場がありました。係の人が話しかけてくれました。
 「今日はあいにくの天気で、景色がよく見えません。それでもよろしければ、チケットをお求めください。」

 なるほど、この日は小雨が降っていました。60階からはきっと東京の街はよく見えないでしょう。
私   :「どうしようか?」
少年  :「どうしましょう?」
学生ボラ:「困ったねえ」
私   :「見たい?」
少年  :「どうしましょう?」
学生ボラ:「困ったねえ」

 誰も「こうしよう」と言わず、いつでも決まりません。しばらくそんな時間を過ごした後、しかたなく私が言いました。
私   :「やめとこうか」
少年  :「やめときますか」
学生ボラ:「そうですね」

 結局、私の投げかけに誰も反対することなく、やめることになりました。私たちは、60階からエレベーターを降り、東急ハンズに寄って帰りました。
 その後、少年は「見たかった」とは言いませんでした。でも、きっと「見たかった」に違いありません。だって、この日のメインイベントだったのですから。景色がよいかどうかではないのです。行ってみて「見えなかったね」でよかったのでしょう。「見えなかった」ことが、この日の思い出になったはずです。

 私は「なぜやめてしまったのだろう」と、とても後悔しました。解散後の反省会で、私は率直にこの話をしました。
「今日は失敗してしまいました。きっと彼は見たかったのだろうと思います。彼の気持ちを感じてあげられませんでした。申し訳ないことをしました。」

 きっと私は、少年の気持ちではなく、自分の価値観で判断してしまったのだと思います。学生ボラさんも、「せっかくだから行きましょうよ」と言ってくれればよかったのに。人のせいにしても、しかたありません。「やめとこうか」と投げかけたのは私です。きっと学生ボラさんも、自信がなかったのだと思います。
 私にとってはよい経験でしたが、少年にとってはせっかくの経験を逃してしまいました。その後も少年に会うたびに、「ごめんな」と心の中で謝っていました。

*** 以上、ある日の「ビー・フレンズ」の様子おわり ***

 年に何回か、障害のあるひとの家族と活動に参加しているボランティアが集まって、懇親会を開いていました。ボランティアは、参加した感想、不安なこと、うれしかったこと、などを話します。家族は、親として心配なこと、ボランティアや活動への期待などを話します。お互いの気持ちを交わしてわかりあうことで、今後の活動をよりよくしようというものです。

ビー・フレンズ

 やりとりとしては、次のような感じです。
・出かけた先でお昼を食べに店に入ったのにほとんど食べなかったとき、「どうして食べなかったんだろう」「食べなくて大丈夫だろうか」と、心配になったり責任を感じたりすることがある。
→ 一食抜いても大丈夫。あまり気にせずコミュニケーションをとることを心がけてくれればよい。
・1対1のペアと、1人にボランティアが2人つくのとどちらがよいか。
→ 最初は不安なので1対2の方が安心だが、慣れてきたら1対1の方がよいかもしれない。

 家族の思いも語られます。
・長く続けてほしい。一人でも多く参加してほしい。
・年一度でもいいから、おつきあいを続けてほしい。
・家にいるときや普段の様子も知ってほしい。
・だんだん家族より地域の人と過ごす時間が増えていってほしい。

 ボランティアと家族の交流だけでなく、他の人の活動の様子や意見・感想を聞くという意味でも、よい機会になります。ボランティアは、他のボランティアや家族の話を聞いて、「私の場合と同じだ」という安心したり、「そうする手もあるんだ」と気づいたりできるからです。

 「パートナーシステムちぱ」のメンバーの皆さんは、「地域で暮らすことが大切」という新しい考え方をもつ方ですので、比較的若いご家族の方が多く、当事者であるお子さんは当時10歳代が中心でした。したがって、ボランティアも子どもたちと同年代の学生さんが多く活躍しています。年代が近いボランティアと楽しそうに一日過ごす姿を見ると、地域で自然に暮らすという当たり前のことの大切さを強く感じます。
 私はというと、子どもたちとはチョット(倍以上)年代が違うのですが、あまり気にせず一緒に楽しむよう心がけました。朝はお互いに遠慮したり探りあったりなのですが、だんだん打ち解けていって、帰りの電車の中ではベタベタしたり、からかいあったりするようになります。「あっ、受け容れてくれた!」という瞬間があると、たまらなくうれしくなります。これがあるから、やめられないのです。

 「ビー・フレンズ」としても悩みはあるようでした。学生さんが多いため、せっかく仲良くなってパートナーになっても、卒業と同時にお別れになるケースが多々あるそうです。主婦や社会人の参加者が少ないのが課題でした。私は休職中に、5回(グループでの活動に4回、1対1の個別外出に1回)参加しましたが、復職とともに活動からは遠ざかってしまいました。趣旨や内容は共感するのですが、やはり年代の差が気になってしまいました。その後は、同年代のひとたちとの友だちづきあいである「コミュニティフレンド」「木村さんと写真撮影」「大山さんと野球観戦」が、活動の中心になっていきます。(後述します)

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※この記事の元記事(ブログ『ボランティア雑記帳』)
 友達になろう(ビーフレンズ)(1)「活動内容」
 友達になろう(ビーフレンズ)(2)「今後への想い」
 友達になろう(ビーフレンズ)(3)懇親会
 見たかっただろうなあ
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【2】コミュニティフレンド

 「街の友人として」の活動のふたつめは、『コミュニティフレンド』です。コミュニティフレンド(以下「CF」)は、主に知的障害者の方と、地域の友人としておつきあいする活動です。「コミュニティフレンドになってみませんか?」というリーフレットには、次のように書いてあります。

 「コミュニティフレンドとは、地域で障害のあるご本人と定期に会い、社会参加・余暇等行動をともにしたり、暮らしのことをご本人と一緒に考えたりする『街の中の友だち』として関わってくれる人のことです。コミュニティフレンドになるには資格はいりません。障害のあるご本人と一緒に向き合って、気長にそしてご本人の視点に立ってお付き合いをしてくれる方なら大丈夫です。また、障害のある方と上手くお付き合いができるかどうか不安・・・という方もきちんとサポートしますので安心してください。」

 きっかけは、知り合いの市民グループの方からいただいたメールでした。「地域のひとが障害のあるひとを支える」という趣旨の講習会があるらしいので、参加しては?・・・というものでした。その講習会に参加して、「障害のある人を地域の人も含んだチームで支援する」という考え方に、とても共感しました。そして翌年、CFの活動が始まることになり、私は初代CF7人のうちの一人としてとして参加しました。
 パートナーの荒木さん(仮名です)は、私より少し年下の男性。どちらかというと、穏やかでのんびりしたひとです。まず顔合わせをして、その後は月1回のペースで会いました。後に私は転居することになり、CFの活動から離れてしまうのですが、それまでの3年間、数十回に渡って荒木さんと一緒にあちこちに出掛けました。

 顔合わせはお見合いのような感じでした。ご家族や仲介役の方と一緒に少し話をしてから、荒木さんが通っている施設を見せてもらいました。2回目以降は、まず荒木さんが住んでいる家(グループホーム)や自宅に行って、部屋でしばらく雑談します。その後、「さて、今日これからどうする?」と言うと、「○○○○」と行きたい所(やりたいこと)を教えてくれます。私もそれでよければ、「いいねぇ、よし行こうか」ということになり、出掛けます。
出かけてからは、「次どうする?」「え?それはちょっと・・・」「じゃあこうしよう」などと、相談しながら休日を過ごします。
 そして、夕方に帰ってきて「じゃあ、また来月」ということでお別れです。つまり、普通の友人と基本的に同じです。

 最初はボーリング等の無難な定番の過ごし方でしたが、しだいにお互いのやりたいことを提案し合って、本当にさまざまなところへ行きました。始めのうちは、私が話したり質問したりすることが多かったのですが、そのうち荒木さんもよく話すようになり、後半はむしろ荒木さんが話題提供してくれることの方が多くなりました。一度、ご家族の方に「私と会うようになってから何か様子は変わりましたか?」と聞いたところ、「随分おしゃべりになったなぁ、と思います」とおっしゃっていました。気をつけていたのは、荒木さんに合わせるだけでなく、私の気持ちもきちんと伝えることです。荒木さんのやりたいことをするだけでなく、私の買い物につきあってもらったり、私の好きなことの話を聞いてもらうようにしていました。私は支援者ではなく友人なのですから。

CF1.jpg

 さて、実際の活動をご紹介します。最初は初期の様子です。
 ある日、荒木さんに「今度、野球を観にいかない?」と誘ってみたところ、「いいよ」と言ってくれました。私は千葉ロッテマリーンズのファンなので、いつか野球観戦につきあってもらおうと以前から企んでいました。
 了解してくれたものの、荒木さんが野球を楽しめるかどうか不安でした。荒木さんは、野球をTVではたまに観るそうですが、特に好きなわけではなく、球場に行ったこともないそうです。「つまらない」と言われたら、それはそれで率直な気持ちを表現してくれたのだと、喜ぶことにしよう、と思って出掛けました。

 午後1時試合開始なので、12時前に球場に着きました。球場の周りのイベントや、「マリーンズミュージアム」を観ているうちに、試合開始になりました。しばらくは、「応援がすごいね」「ボールが入っちゃった(ファウルのこと)」と言いながら、初めての野球観戦を楽しんでる様子でした。私は自分のペースでマリーンズを応援しながら、荒木さんが飽きないように、持ってきたお菓子を食べたり、飲み物を買いに行ったりして、気分転換するようにしました。

 7回の「ジェット風船飛ばし」も終わり、試合は2-2の同点のまま延長戦へ突入しました。時間は午後4時で、試合開始から3時間が経っていました。私はもちろん試合終了まで観たいわけですが、荒木さんは夕食の時間が気になるようでした。
 私は、1回終わるごとに自分の意思を伝えた上で、荒木さんの希望を聞くことにしました。9回終了時、「僕はまだ観たいけど、荒木さんはどう?」→「・・・いいよ」。10回が終わってもまだ同点です。10回終了時、「僕はまだ観たいけど、荒木さんはどう?」→「・・・帰りますか」。ということで、10回終了時点(4時20分)で帰ることにしました。荒木さんは、ちょうど夕食の時間(6時)の少し前に帰宅できたと思います。

 この日は、他にも何度か私の提案を断ることがありました。「(展示してあった)白バイに乗って写真撮ろうよ」→「・・・いい」。「荒木さんもユニフォームシャツ着てみる?もう1着もってるんだけど」→「・・・僕はいい」。前回までは、私の提案を断ることは、ほとんどありませんでした。自分の気持ちを、より率直に伝えてくれるようになったような気がしました。また少し身近に感じてくれたのかな、とうれしく思いました。

 野球についても、帰り道に少し聞いてみました。「野球どうだった?」→「応援がすごかった」。「また行ってみたい?それとも、もう行かない?」→「また行きたい」。それなりに楽しんでくれたようです。私は、「僕の好きな野球を楽しんでくれてうれしいよ」と正直な気持ちを伝えました。

 ところで試合の方は、私たちが帰った後の12回裏、マリーンズがサヨナラ勝ち!!「勝ってうれしい!」と同時に「観たかった!」。サヨナラ勝ちを応援席で楽しんだファンがうらやましい。でも、帰り道の荒木さんは早足で、明らかに早く帰りたそうでした。10回を観たのは荒木さんが譲ってくれて、11回を観なかったのは私が譲ったわけなので、これでよかったと思うのですが・・・。

CF2.jpg

 続いてもう一日分ご紹介します。
 その日は春ということで、「花がきれいな所へ行こう」ということになっていました。他に目的地の候補があったのですが、当日荒木さんから提案がありました。
荒:「チューリップまつり」
私:「えっ?どこの?」
荒:「佐倉」
私:「もしかして風車があるところ?」
荒:「そう、橋を渡るとこ」
私:「あ~、行ったことある。だいぶ前だけど。荒木さんは?」
荒:「去年行った。きれいだった。」
私:「今日やってるの?」
荒:「水曜から、明日まで。」
私:「いいじゃん、春らしくて。行き方わかる?」
荒:「JR佐倉駅。無料送迎バス。」
私:「おおう、調べてあるじゃん。行こう。決まり。」

 ということで、荒木さんの提案を即採用。電車とバスで現地に着きました。そこには、一面に色とりどりのチューリップ。その真中に風車が元気よく回っていました。広い敷地に様々な色の花が咲いている様子は、なかなかのものでした。会場では、オランダの民族衣装の貸出も行っていて、何人かかわいらしい服を着た人も見受けられました。特産品や食べ物を売る露店がたくさん出ていて、そこでお昼を買って食べました。荒木さんの提案のおかげで、春を感じる1日を過ごせました。帰り道の会話です。
私:「来月はどうしようか?」
荒:「野球は?」
私:「えっ?マリンスタジアム?」
荒:「去年行った。」
私:「お~、もちろん望むところだよ。行くか!」

 初めて一緒に野球観戦してから約1年。そろそろ誘ってみようかな、と思っていたところでした。そこへ荒木さんの方から「野球は?」ときました。私が狂喜乱舞したのは言うまでもありません。

 もうひとつ、他のペアの出来事を少しご紹介します。CFの一人のTさんが、ご結婚されたときの話です。そのときの披露宴に、CFのパートナーさんをご招待されたそうです。
 そのパートナーの親御さんは、「これまでうちの息子は披露宴に出ることはあっても、すべて親族席。招待席は初めてで感激です。礼装用のネクタイ買いに行かなくちゃ。」と喜びを話したそうです。「招待席」というところに意味があるわけです。
 しかしTさんは、「私としては、“最近親しくしている友人”の一人だと、単純にそう思って招待させていただきました。」とおっしゃったそうです。CFのTさんは、「あたりまえのこと」をしただけのつもりのようです。

 私は、「自分だったらどうするかな?」と考えました(既に家族がいるので、もう結婚はしませんが)。仮に今結婚するとしたら、CFのパートナーの荒木さんを披露宴にご招待するか?きっと、するのではないかと思いました。職場の人達、お世話になった人達、昔からの友人、そして現在の友人・・・。現在の友人の中で、荒木さんは間違いなく親しさ上位に入ります。毎月一緒に遊びに行っているわけですから。
 障害のある人がいわゆる「一般の人」の披露宴に招待されることが、「珍しい」とか「特別にうれしい」とか言われることが、そもそもおかしなことです。「珍しいこと」「特別なこと」が、「あたりまえのこと」「普通のこと」になってほしいと、強く思うエピソードでした。

CF3.jpg

 年に2回、ミーティング(CF連絡会)が開かれました。CF、事務局、理事、参加を検討中のオブザーバーの方などが参加します。
 まず、CFが活動の様子を話します。パートナーとの関係はそれぞれ違いますが、うれしかったこと、苦労していること、迷っていることなど、他のCFの様子を聞くことができて興味深いです。CFは普段パートナーと1対1の関係なので、これでよいのか不安になったり、行き詰ったりすることがあります。ですから他のCFの話を聞くと、安心したり、新しい発想に気づいたりできるので、このようなミーティングはとてもよい機会です。

 その後、いくつかのテーマについて意見交換します。ある日、「CFは外出支援とはどう違うのですか?」という質問が出ました。様々な団体が、本人や家族の依頼に応じて、外出に同行する活動を行っています。それとCFはどう違うのか、という質問です。
 出された答えは2つ。
1.「誰か」ではなく「○○さん」がくること。外出支援依頼すると、都合のつく「誰か」が支援にきます。CFは、他でもないあの「○○さん」がやってきます。
2.何をするかは話し合って決めること。外出支援は、本人が目的地を決めて支援者がそこに同行します。CFは、本人とCFが何をするか話し合って決めます。私は、荒木さんが「潮干狩りに行きたい」と言っても、断固拒否します。(暑いのと日焼けが苦手なので)

 別の日のミーティングで、CFの話を聴きながら、あることに気がつきました。CFの感想は、活動期間の長短によって、だいたい3つトーンに分類できることです。
<A.活動半年未満>
 最初はいろいろ考えて迷いがあります。「友達とは何か」「支援者との違いは何か」「あれをしてみようかな。それともこれをしてみようかな。」「パートナーの要望を断ってもいいのか」「自分は役に立っていないのではないか」。何をしたらよいのか迷う。

今の形でよいのか不安。支援っぽくなってしまう。
<B.活動半年~1年>
 それが、ある期間が経つと、吹っ切れてきます。「なんだか楽しい」「自然につきあえばいいんだ」「考えすぎていたかもしれない」「これでいいんだ」。最初はいろいろ考えて力が入っていたが、あまり難しく考えなくてよいことがわかってくる。
<C.活動1年以上>
 そして、こうなります。「普通に遊んでるだけ」「別に何も考えずに一緒に過ごしてます」「お互い気楽な関係です」友人としての関係を楽しんでいる。

 私も最初は迷いました。そのうち、関係の変化を楽しむようになりました。その後、ただ一緒に過ごしている状態になりました。障害のある人と地域の人が、自然におつきあいするということは、こういうことなんだな、と思いました。

 長くなりましたが、コミュニティフレンドについては以上です。
 このブログの元になっている別のブログ『ボランティア雑記帳』には、私のCFの活動の全記録が書かれています。毎回どこへ行って何をしたか。そしてどんなことを感じたのか。ミーティングの様子等も含めて、全部で75回にも及びます。全て読むのは大変だと思いますが、コミュニティフレンドに興味をもってくださった方は、拾い読みしていただけると嬉しいです。下記の青地のリンクからどうぞ。

 『ボランティア雑記帳』のテーマ「コミュニティフレンド」

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【3】木村さんと写真撮影

 2年間のボランティア休職の後に復職してからは、土日を利用して月1~2回程度の活動を続けました。そのひとつが「木村さんと写真撮影」です。
 木村さん(仮名です)とは、彼が住んでいる施設に、ボランティアとして通っていたときに知り合いました。5ヶ月間通った身体障害者の施設です。
 木村さんは写真撮影が趣味で、花や紅葉などの写真を撮りによく外出します。そのときの介助を頼まれて2人で出かけるようになり、それが復職後も続きました。紫陽花と紅葉がきれいな本土寺(松戸市)、蓮の花が楽しめる千葉公園(千葉市)、羊山公園の芝桜(秩父市)、鎌倉の紅葉、神宮外苑の銀杏並木など、あちこちの撮影名所に行きました。

 木村さんは手足が不自由で、電動車椅子利用者です。そこで、車椅子に高性能のカメラとレンズを装着して、カメラを操作する補助装置を駆使して撮影を楽しみます。写真の通り、撮影をするときは電動車椅子にポール(支柱)を取り付けて、そこにカメラを固定します。ポールとカメラの間には、「電動カメラ雲台」という装置を接続しています。バッテリー電源を使って、リモコンでカメラの向きを上下左右に変えられる装置です。もともとビデオカメラ用の装置ですが、木村さんはこれを使うことで自在にカメラアングルを調整します。4つの青いボタンで上下左右にカメラの向きを変えます。また、上の方にある別のスイッチでシャッターを切ります。
 私の主な役目は、電車等での移動とコミュニケーションのお手伝い、トイレの介助です。といっても、木村さんはほとんどのことはご自分でしますので、私の出番はあまりありません。あとは、現地についたときのカメラのセッティングです。ポール・バッテリー・カメラ・リモコン等を設置して、撮影終了時にそれらを片付けます。あとは、たまにポールを上下に調整することがある程度で、あとは全て木村さんがご自分でします。

 最初の頃の私は、木村さんが外出する際に介助するボランティアでした。何度か同行するうちに、木村さんから「カメラ持ってきたら?」と言われて、コンパクトデジカメを持っていくようになりました。そうしたら、木村さんから「そんなカメラじゃダメ。もっといいカメラを買いなさい。」と言われました。一緒にヨドバシカメラに寄り道しているうちに、私も「いいカメラ」が欲しくなり、ついにデジタル一眼レフカメラを買ってしまいました。
 それからは、私は外出介助のボランティアではなく、木村さんと一緒に同じ趣味を楽しむために出かけている友人になりました。目的地も最初のうちは、木村さんが行きたいところに私がついて行っていましたが、そのうち私が行きたいところについて来てもらうパターンも増えました。
 もともと木村さんとは年齢も近く(木村さんの方が少し年上)、要するに同じ「オジサン」なので、話題も比較的あうことが多かったのですが、彼の影響でデジタル一眼を買うことになるとは思いませんでした。私は完全に初心者でしたので、「絞りは5.6がいいよ」とか、「思いっきりシャッタースピード落としてみたら?」などと、アドバイスしてもらっていました。

木村1木村2

 さて、実際に木村さんと写真撮影に行ったときの様子をご紹介します。
 まずは、東京の神代植物公園です。この日は当初は、駒込の六義園につつじを撮りにいく予定でした。でも、つつじは終わってしまったので、急遽目的地を変更しました。気がかりだったのはバスです。電動車椅子が乗れるかどうか・・・。なにしろ当日の朝、待ち合わせした駅で目的地を変更したので、下調べ全くなしです。「今日は少し冒険を楽しもう」という気持ちで行くことにしました。
 まず104で電話番号を調べて、バス会社に問い合わせました。「全車車椅子対応です。混み合うと1~2台やり過ごしていただくかもしれませんが、本数は多いので大丈夫だと思います。」とのことでした。木村さんに「バスは乗ったことあるんだよね?」と聞くと、「いいや」との答え(冷汗)。とにかく行ってみよう、ということで出発しました。

 電車を2回乗り換えて、最寄りのつつじヶ丘駅に着きました。バス停で待っていると、確かにノンステップバスが来ました。運転手さんに合図すると、乗りやすい位置に上手に停車してくれました。慣れた手つきで出してくれたスロープを使って、木村さんは自走で乗車できました。椅子を2つたたんで、必要十分なスペースも確保できました。降りるときも問題なく、思ったよりスムーズに目的地に到着しました。
 神代植物公園では、「春のバラフェスタ」を開催中でした。木村さんは2日前にTVでその様子を見て、目的地の変更を提案したのです。行ってみてビックリ、色とりどりの様々な種類のバラが咲き乱れ、素晴らしい光景でした。時期もちょうどよかったようで、写真撮影には最適でした。2人ともひたすらシャッターを切りまくり、木村さんのフィルムがなくなったところで、ようやく遅い昼食にしました。
 バスは帰りも偶然同じ運転手さんで、全く問題なく駅に着くことができました。電車の乗り継ぎが悪く、予定より帰りが少し遅くなってしまいましたが、よい1日になりました。ここで乗り継ぎがよければ、あんなことにはならなかったのに・・・。

 もうひとつの問題は天気でした。今日の予報は「曇り時々雨」で、朝と夕の2回にわか雨があるかも、とのことでした。行きの電車の中で大雨が降ってきましたが、つつじヶ丘に着く頃は止んでいました。そして写真撮影の間は、ずっと曇りか薄日がさしていて、最高の天気でした。しかし帰りの電車の中で、西の空が怪しくなりはじめました。いつも通り木村さんが住む施設の最寄駅で解散。彼は自力で施設に向かい、私は家路につきました。そして解散の10分後、ドシャブリになりました。後でメールで「濡れた?」と聞くと、「ズブヌレ」とのこと。念のため合羽を着て帰るべきだった!ちなみに私は帰りに床屋に寄ったので、濡れずに済んでしまいました。木村さん、ごめんなさい。

<神代植物公園>
木村3

 次は、旧古河庭園に行ったときの様子です。
 天気もよく、電車の乗り継ぎもスムーズで快調。最寄駅の京浜東北線「上中里駅」から、約10分。二人とも初めてでしたが、迷わずに到着しました。電動車椅子にカメラと補助装置をセッティングして、いざ撮影開始!まずは、花に囲まれた素敵な洋館を撮ろう、と私は構図を考えてウロウロしていると、木村さんが「下にどうやって行くの?」と。
 目的のバラ園は、洋館の目の前です。しかし、洋館から少し降りたところにあります。係の人に聞いてみました。「階段でしか行けないんですよ。洋館の前から見おろして楽しんでいただくしか…。すみません。」とのこと。
 結局、木村さんは洋館の周辺のみ、数枚だけ撮影しました。木村さんの「下行って撮ってきていいよ」とのお心遣いに甘えて、私は10分くらいバラを撮らせていただきました。

 木村さんと写真を撮りに行くのは、十数回目でした。いつもは、事前に交通アクセスと現地のバリアフリー状況を、ネット等で一応調べて行きます。この日は、園内マップを少し見ただけで、来てしまいました。階段らしいところは見当たらなかったし、忙しさも手伝ってサボってしまいました。目的地は木村さんの提案でしたので、問題ないだろうと勝手に思いこんだ部分もありました。少し反省…。まあ、いくら調べて行っても、「こんなはずじゃ…」ということは、結構あるんですけどね。
 ともあれ、このままでは引き下がれない木村さん。
木村:「どこか行こう。」
私 :「望むところだ。」
木村:「日比谷は?」
私 :「でた、困った時の日比谷公園。」
木村:「ソニービルは?水芭蕉。TVでやってた。」
私 :「あ~、ビルの前に水芭蕉ね。いいじゃん。じゃあ、銀座寄ってから日比谷行こう。」

 ということで、急遽ソニービル経由で日比谷公園に行くことになりました。数寄屋橋のスクランブル交差点を斜め横断すると、そこは尾瀬。かわいらしい水芭蕉が咲いていました。狭いスペースには木道もあって、よくもまあ上手に尾瀬を再現したこと。ここのイベントは、いつも素敵です。
 私はかわいらしい花々を、パシパシ撮りました。しかし、木村さんとしてはイマイチのようで、カメラをセッティングせず。早々に日比谷公園に向いました。
 日比谷公園は、年間を通じて様々な花が咲いています。ですので、「困った時の日比谷公園」ということで、目的地が期待はずれだった場合、「日比谷公園でも行こうか」ということになります。平坦な地形も、電動車椅子には向いています。この日も、バラを中心に何種類かの花が咲いていました。木村さんも、やっと落ち着いて撮影に入ります。二人であちこち移動しながら、1時間ほど撮りました。

<日比谷公園>
木村4

 電動車椅子利用者である木村さんと外出していると、いろいろ珍しい体験をします。苦労もありますが、ここでは「おもしろい体験」と「嬉しい出来事」をご紹介します。
 まずは東京駅の「おもしろい体験」。巨大ターミナルは複雑な構造です。エレベーターを乗り継ぎ、次の電車のホームを目指します。途中、「こちらです」と駅員さん。「はい」と案内に従っていくと、そこはバックヤード。駅や飲食店のスタッフが往来する裏通路です。
 「へえー、こんなところ通るんだ。いつもと違うな。」とこの時点では、「??」という感じでした。あまりキレイではない業務用エレベーターに乗ったときは、「なんで裏を通らなきゃいけないんだろう。」と少し不満に思ったりしていました。壁や天井は古く、照明も暗め。台車の音が騒がしく、お客さんを案内するところではないと感じました。
 でも、なんか迷路のような通路をクネクネ行くのも楽しく思え、一般人が入れないところを通っているドキドキ感もあったりして、やや複雑な心境でした。これからどうなるんだろう…。

 そのうち天井が低くなりました。「あれっ!」と思わず声を出してしまいました。天井が丸くトンネル上になっていて、全て赤レンガ。そこは大正浪漫の世界。タイムスリップした気分でした。「こりゃすごいわ」と木村さんと二人で、キョロキョロしてしまいました。エレベーターを上がると、そこは京浜東北線のホーム。まさに、タイムマシンに乗った感覚でした。
 そう言えば、「車椅子用の通路が地下にある」と聞いたことがありました。「これがあの通路か」。あとで調べたら、旧郵便物運搬通路の「赤レンガ通路」というのだそうです。残念ながら撮影禁止のため、写真はありません。興味のある方は、車椅子利用者と一緒に行くか、東京駅に勤務してください。(「東京駅 赤レンガ 通路」で検索すると出てくるかも)

 それと、驚いたことがひとつあります。ここは業務用通路ですので、たくさんのスタッフが往来します。弁当、飲み物、雑誌など、様々な物を台車に乗せて運んだりしています。私たちが通ると、そのスタッフの皆さんは必ず立ち止まってくれるのです。お客様に安全に通行してもらおう、ということでしょう。こういったことは、そういうルールになっていても、ややもすると徹底されていないものです。しかし、ここでは例外なく皆立ち止まって優先してくれました。

 続いて「うれしい出来事」です。京浜東北線の「上中里駅」から、「有楽町駅」へ行くときのことです。
 上中里駅で駅員さんに「有楽町までお願いします」と伝えました。ホームで待っていると、アナウンスがありました。「業務連絡、東京駅連絡OKです」。私は駅員さんに尋ねました。「東京ではなくて、有楽町なんですけど…」。すると駅員さんは、「はい、次の電車は快速なので、有楽町に止まりません。東京で山手線に乗り換えるお手伝いをさせていただきます。東京駅へは連絡済ですので、ご安心ください。」

 一昔前なら、「次は快速なので、もう一本後の各駅停車まで待って下さい。」と言われていたでしょう。この日は少しでも早く、一般の人となるべく同じように、という配慮をいただいたのが嬉しかったです。交通機関のバリアフリーについての配慮は、年々改善されてきています。ときには「??」ということもありますが、駅員さんの対応は着実によくなっていると感じました。

 「木村さんと写真撮影」については以上です。
 このブログの元になっている別のブログ『ボランティア雑記帳』には、「木村さんと写真撮影」の活動と、後述の「大山さんと野球観戦」を合わせて、「地域の友人として」というテーマでまとめてあります。ここには書ききれなかった他の日の様子を読むことができます。よろしかったらご一読いただけると幸いです。下記の青字のリンクからどうぞ。

『ボランティア雑記帳』のテーマ「地域の友人として」

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【4】大山さんと野球観戦

 復職後の「地域の友人として」の活動のふたつめは、「大山さんと野球観戦」です。
 大山さん(仮名です)とは、休職中に通っていた施設で知り合いました。仲よくなるうちに、休日に一緒に出掛けるようになりました。ボーリングに行ったり、地域のお祭りや大学の学園祭、カラオケに行ったりもしました。仲間数人とグループで出掛けることもあれば、大山さんと2人のときもありました。
 大山さんは昔からプロ野球好きで、よく観に行っていました。私は、休職中はプロ野球にあまり関心がなかったので、「大山さんはそんなにプロ野球観に行って、よく飽きないねぇ」なとど言っていました。しかし復職後、引越をきっかけに千葉ロッテマリーンズのファンになり、それから大山さんと一緒に同じ野球ファンとして観戦に行くようになりました。私と同レベルの野球好きの大山さんは、私にとって貴重な仲間でした。でも、大山さんはマリーンズファンではなく、日ハムと横浜ファンだったりします。

 野球場で観戦している間は、毎日のできごとなどについて、おしゃべりしながら過ごします。大山さんの通っている施設の様子は私もよく知っているので、話がはずみます。
 職員さんの異動の季節には、「新しくこんな人が来た」「あの人はこっちの担当になった」という話を聞いたり、ケアホームや仲間と出掛けた時の様子を教えてもらったりします。
 時には、大山さんの口からビックリニュースが飛び出すこともありました。
大山:「それでTさんが、女性職員の・・・」
私 :「えっ?Tさんって男性じゃない。」
大山:「違いますよ。女性ですよ。Tさんと結婚して名前が変わったんですよ。」
私 :「なっ、なに?! だっ、だれ?!」
大山:「Bさんですよ。」
私 :「えっ?! BさんがTさんと結婚した?!」
大山:「はい。」
私 :「そんな重要な情報は早く言いなさい! いったい、いつ?」
大山:「さあ。ははは。」

大山1

 野球が始まっても、雑談しながらのんびり観戦します。もちろん野球の話もします。大山さんは、最終回の村田(横浜)のホームランを予言したり、リリーフの江尻(日ハム)の登板を当てたりします。
 大山さんは観戦記録をノートに書いています。以前一緒に観戦したときのスコアや投手も書いてあるので、「あのときはどうだったっけ?」「あ~そうだったね。それでその後さぁ・・・」と、思い出しながら話すのは楽しいものです。

 何度も一緒に行っていると、ハプニングも起きます。ある日、試合が終了して「さあ帰ろう」と球場の外に出ると、雨がポツポツと降り始めました。この日の予報は「夕方からにわか雨か雷雨」でした。雷は試合途中から鳴っていたので、いよいよ来たかという感じです。二人とも傘は持ってきたのですが、みるみるうちに雨足は激しくなります。いつもは駅まで歩くのですが、「バスに乗ろう」と列に並びました。ところがこれから、とんでもないことに・・・。
 雨はドシャブリになり、風は突風状態、足元はあっという間に池に。雷は間近かでビカビカドカン。傘をさしているのに頭のてっぺんからビショ濡れです。服を着たまま、頭からシャワーを浴びた状態になってしまいました。この間、わずか5分間。あとで知ったのですが、竜巻警報が出ていたらしいです。

 やっとバスに乗ったものの、ぬれ鼠の二人は寒くてしかたありません。駅に着いたら「温かいコーヒー飲もう」とコンビニへ。ところがこのコンビニが、冷房ギンギンで南極の寒さ。外に脱出して飲んだ缶コーヒーは美味しかったです。気がつくと、既に雨は止んでいました。完全に判断を誤りました。
 とにかくこのまま電車で帰ったら、大山さんは間違いなく風邪をひくので、一度私の家まで行って着替えることにしました。乾いた服に着替えたものの、下着や靴までは貸せないので、結局車で自宅まで送って行きました。

 ということで、とんでもない嵐の夜になってしまいました。でも、なんとなく私たち二人は、悲しくも腹立たしくもありませんでした。「すごいことになっちゃったねえ」「忘れられない1日だねえ」などと言いながら、ヘラヘラと笑っていました。まあ、笑うしかない状態だったのかもしれません。
 数日後に届いた大山さんからのハガキを読む限りでは、風邪はひかずに済んだようです。私もなんとか大丈夫でした。ひどい目にあったのに、なんだか妙なうれしさが残る、不思議な嵐の夜でした。

大山2

 野球が中止になって、別企画に切り替えた時もあります。そんなときはコミュニティフレンドのときと同様に相談です。
 大山さんは、野球の次に好きなカラオケを提案。カラオケは苦手な私は断固拒否。私たちは友人ですので、大山さんに無理に合わせたりしません。私がボーリングを逆提案。大山さんもOK。
大山:「ボーリングのお金は誰が払うんですか?」
私 :「大山さんの分は大山さん、僕の分は僕。それでいい?」
大山:「いいですよ」
 こんな感じです。

 お互いによく野球場に行っているので、偶然会うこともありました。
 その日、私は家族で観戦に行きました。ところが現地についてみると大変な混雑(のちに満員御礼の発表がありました)。なかなか席が見つかりません。
 困っていると聞き覚えのある声が・・・。「席空いてますよ!」振り返ると大山さんがニッコリしています。私たちを見かけて、わざわざ席を立って追いかけてきてくれたのです。「助かったよ~。」とお言葉に甘えて、大山さんの隣の席に座らせてもらいました。
 「いやあ、偶然だねえ。」と言ったものの、よく考えるとここはいつも大山さんが好んで座るエリアです。このあたりの通路をウロウロしていれば、大山さんと会うのは偶然ではないかも。でも、お互いに毎試合来ているわけではありませんから、やはり偶然です。
 街で偶然知り合いに会うというのは嬉しいものです。以前は、住んでいる回りに知り合いなどいませんでした。それが、地域で活動を始めてから、「バッタリ会う」ことが増えました。

 野球以外のおつきあいも増えていきました。大山さんは、ご家族と同居していたのですが、その後ケアホームで暮らすことになりました。
 大山さんが通っている施設のイベントに遊びに行った後、こんな会話になりました。
私 :「これからどうするの?」
大山:「ケアホームに帰りますよ」
私 :「じゃあ、ちょっと寄ってもいい?」
大山:「いいすよ」

 初めて訪問してみると、新築かと思うほどきれいな一軒家です。中もきれいにリフォームされていて、清潔&快適。居間には大型TVもあり、日当たりも良好。大山さんは、お茶を出してくれ、カメラモニター付きのインターホンを嬉しそうに説明してくれました。自室も見せてくれましたが、自分用のTV・机・タンスを置いても十分広く、快適そうでした。ここでも大山さんは、部屋のエアコンの操作方法を、嬉しそうに教えてくれました。大山さんはかなり気に入っている様子で、休日も一応実家に顔を見せるものの、基本的にはここで過ごしているようでした。

大山3

 大山さんとハガキで文通していた時期もありました。ケアホームに引っ越してからしばらくすると、私の自宅に大山さんから初めてのハガキが届きました。
「お元気ですか。・・・こないだ、こんなことがありました。・・・こんど、○○○(ケアホーム)に遊びに来て下さい。」
 私は、返事を書きました。それから、7ヶ月で18枚のハガキをもらいました。私もその都度返事を書き、旅先から絵葉書を送ったりもしました。たまに、こちらからの返事を待ちきれず、次のハガキが届くこともあり、「すまんすまん」と慌てて返事を書くこともありました。
 大山さんは、施設の職員さんやボランティアさんと交換ノートのようなことをしています。私も施設に通っていたときは、よく書かせていただきました。ハガキの文通は交換ノートの遠隔版かな、と思いました。一緒に出掛けたり、同じ趣味を共有したり、ふらっと「どうしてる?」と寄ってみたり。そういったごく普通の日常のおつきあいが、彼らにとっても私たち地域のひとにとっても、大切であり必要であり嬉しいことなのではないか。そんな風に思いました。

 「大山さんと野球観戦」は以上です。
 このブログの元になっている別のブログ『ボランティア雑記帳』には、「木村さんと写真撮影」の活動と、後述の「大山さんと野球観戦」を合わせて、「地域の友人として」というテーマでまとめてあります。知人からは「『大山さんと野球観戦』が読んでいて一番楽しい」とよく言われます。よろしかったらご一読いただけると幸いです。下記の青字のリンクからどうぞ。

『ボランティア雑記帳』のテーマ「地域の友人として」

 第4章では、ボランティア休職の2年目から「自分の活動スタイル」を発見して、軸足を移していった「地域の友人として」の活動をご紹介しました。支援者でも家族でもない「近所のおじさん」として、障害のあるひとと自分の双方に意味がある人間関係をつくる。「ボランティアとして助ける」のではなく「街の友人としてつきあう」。それが今の私の活動スタイルです。

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2015.05.31 友人の後任
【5】友人の後任

 ボランティア休職から復職して約5年間、荒木さん・木村さん・大山さんとの「地域の友人として」のおつきあいが続きました。しかしその後、私は家族の関係で千葉から静岡に転居することになりました。そのため、彼らと「ときどき一緒に出掛ける関係」を維持するのは難しくなりました。
 私がいなくなった後、代わりに彼らとおつきあいをする人は、決まったケースとそうでないケースに分かれました。この転居で一番いろいろ考えたのは、この「友人の後任」についてです。私の活動の本質に関わることだからです。

 私は障害のある人との「地域の友人としての関係」を大切にしてきました。障害のある人を「自分とは違う特別な人」として支援するのではなく、「自分と同じただの人」として一緒に地域で暮らすのが、本来の姿だと考えているからです。しかし、彼らに家族や支援者はいても、友人は少ないのが現状です。ですから私は「支援者」ではなく「友人」にこだわってきました。

 転居するにあたり、私は「後任」を考えたくありませんでした。施設の職員やヘルパーが異動や退職する場合は、必ず「後任」が紹介されますが、友人が転居する際に「後任」などいないからです。
 あなたの友人が遠方に転居すると聞いたとき、あなたはその友人に次のように尋ねるでしょうか?
「寂しいなあ。で、後任は?」
「代わりはどんな人?」
「いつ引き継ぎしてくれるの?」
「いないの?困るよ。これから私はどうしたらいいの?」
「同じようにつきあってくれる人を用意してくださいね。」

 施設の職員やヘルパーなどの支援者でしたら、上記のような会話はごく普通に行われるでしょう。しかし、友人は支援者ではありません。友人は縁があって出会い、お互いに求めあって自然と関係ができるものです。友人は自分でつくるもの、あるいは自然にできるものです。
「私の後任はこの人です。じゃ、後はよろしく。」
「はじめまして、よろしくお願いします。」
・・・というものではありません。
 私がこれをやってしまったら、自己否定することになります。ですから、私は「後任」を考えるつもりは全くありませんでした。

CF4.jpg

 しかし「転居します」と発表したあとの、周囲の反応は少し違っていました。コミュニティフレンド(以下「CF」)の事務局は、すぐに私に尋ねました。
「代わりはどうしましょうか?」
「○○さんはどうかと思っているんですけど」
 私は少し驚いて言いました。
「私は友人なので後任を考えるのは違和感があります」
 事務局は私の思いを尊重してくださり、直ちに「後任」を探すのは控えてくださいました。

 パートナーの荒木さんご本人の反応は、どうだったのでしょうか。ますは私の転居を残念に思ってくれました。次に私がいなくなったあとも、同じようにつきあってくれる人がいたらいいな、と思ったようです。そして「できればこんな人がいい」と希望も言いました。私は「そりゃそうだよな」と思いつつも少し複雑な気分でした。
 荒木さんにしてみれば、友人はたくさんほしいわけです。でもそのような機会に恵まれてこなかった。「自分でつくる」「自然にできる」と言われても、どうすればいいのかわからないし、これまでもほとんでできなかった。ですから、「今までと同じように一緒に出掛ける人がほしい。誰か連れてきて!」と思うのは無理のないことです。

 一方でCFは「仕組み」です。自然と友人ができる社会になってほしい。でも現実は違う。だから仕組みが必要。CFという仕組みによって、障害のある人との友人関係を広げていこう。
 ですから、きっかけづくりやその後のサポートがあるのです。普通の友人とは、やや違うところがあるのは事実です。私も荒木さんとは「マッチング」で出会ったわけです。

 以上の観点から、CFの荒木さんについては、「後任」にあたる人を検討することは、ある意味では自然なことなのだろうと思います。私の思いは思いとして、荒木さんの視点やCFの仕組みを考えると、私の気持ちばかり押し通してはいけないな、と思うようになりました。
 ということで、荒木さんとのお出かけ最終回のとき、荒木さんの「後任」についての希望を改めて尋ね、それを後日CF事務局に伝えました。

そしてその後、事務局が荒木さんと直接会って話を聞き、しばらく経った後に「後任」を紹介してCFの活動が継続していきました。
 私はそれを遠くから見守りました。

 私はお出かけ最終回のあと、荒木さんに写真を送りました。数日後、封書で返事が届きました。
「楽しいたのしい思いでです。だいじにだいじにします。」
・・・私はこの気持ちだけで満足です。

 もちろん、私と荒木さんは縁を切ったわけではありません。転居後も年賀状を出したり、千葉のお祭りのときに「久しぶり~」と言って再会したりしていました。普通の友人が遠方に転居したときと同じように。

木村5

 さて、ここまでCFの荒木さんとの関係を書きました。写真仲間の木村さんの「後任」はどうだったのでしょうか。
 木村さんについても、私は同様に考えていました。
・私は木村さんと写真仲間だった。
・私は転居することになった。寂しいけど仕方ない。
・元気でね。年賀状出すよ。たまにでも会えたらいいね。
・じゃあね。以上。
・・・だと思っていました。

 しかし木村さんの反応を見て、考えが変わりました。木村さんは「友人としての私」との別れを残念に思ってくれました。「一緒に撮った写真を見ると悲しくなる」と言ってくれました。同時に彼は「介助者としての私」を失うことにショックを受けていました。「もう写真を撮りに行けなくなる」と。

 木村さんは一人では写真を撮りに行けません。介助者が必要なのです。コミユニケーション、移動、トイレ、食事、そしてカメラと周辺機器のセッティングなど。ボランティアを募集しても、ほとんど応募はないそうです。私がいなくなると、趣味の写真撮影ができなくなってしまいます。木村さんは、友人と趣味の2つを同時に失うことに、とてもショックを受けていました。
 そこで私は、ボランティアを探すことを約束しました。見つかるかどうかはわからないけれど、できる限りのことはしようと思いました。ブログや知人を頼って募集しましたが、なかなか見つかりせんでした。そして諦めかけた頃、ある方から連絡をいただきました。何度かやりとりをして、その方にボランティアを引き受けていただけました。

 私は、木村さんの件で、改めて自分の役割を認識しました。友人であると同時に、木村さんの介助者でもあったのだと。私は「友人として」一緒に写真撮影を楽しんでいましたので、介助者であることを半ば忘れていました。「介助者であることを忘れること」はある意味では理想なのかもしれません。地域の人が障害のある人と地域で一緒に暮らしていて、「介助や支援」を意識せずに自然と必要なサポートをしている。そんな社会が本来の姿だと思います。
 しかし現実には、木村さんの周囲にはそのような地域の人はあまりいません。私は木村さんにとっては、自己実現のために必要な介助者でもあったのです。

 ということで私は「介助者の後任」を探し、とてもよいボラさんに巡りあいました。私は「友人の後任」は探しませんでしたし、今も「友人の後任」はいません。新ボラさんは、まずは主に介助者として木村さんと外出することになるでしょう。そのうち介助者であると同時に、友人になっていくかもしれません。かつての私も最初は介助者でしたので。でも、新ボラさんはそうならないかもしれません。それはお二人しだいですし、私は遠くから見守るのみです。

大山4

 さて、もうひとりの「地域の友人」野球観戦仲間である大山さんの場合です。大山さんについては「後任」は探しませんでした。
 大山さんは、私が休職中に通っていた施設の利用者でした。私たちはそこで知り合い、その後なんとなく誘い誘われして、一緒に野球を観に行くようになりました。荒木さんのように、「仕組み」で知り合ったわけではありません。大山さんは日常生活では特に介助は必要なく、知っているところなら横浜まででも一人で出掛けてしまいます。木村さんのように、「介助者の後任」は必要ありません。ですから、私の「後任」は必要ないのです。ですから、私は大山さんの「友人の後任」を探しませんでした。

 では、大山さんはそれでいいのかというと、どうでしょうか。彼と一緒に野球観戦に行く友人は、他にはいません。年間何十回もの観戦のほとんどは一人です。年に数回一緒に行っていた私がいいなくなると、一人観戦のみになってしまいます。
 もちろん、同じ施設に通う仲間はいますし、グループホーム(ケアホーム)で暮らしているので、毎日が寂しいということはないと思います。

しかし、最大の関心事である野球観戦を、一緒に楽しむ人がいるのといないのでは、大きな違いではないでしょうか。(ちょっと自分の存在価値を過大評価しているかもしれませんけど)

 でも、やはり私が「後任」を探すのには違和感がありました。それは、大山さんと私の「知り合い方」なのだと思います。自然に知り合って、なんとなく誘いあって同じ時間を過ごすようになった。彼が最も「友人らしい知り合い方」だったのかもしれません。

 彼と観戦している間の話題は、野球の話と普段の生活の話が半々です。普段の話のほとんどは、施設とケアホームの職員さんと利用者さんの話。私もそのほとんどの人を知っているので、彼も話しやすいし私も聞いていて楽しい。むしろ私は、大山さんに職員さんや利用者さんの近況を質問して、いろいろ教えてもらっていました。このあたりも、彼が最も「友人らしい関係」だったように思います。
 このブログの愛読者の方から、「大山さんの記事が一番好きです」と言われたことがあります。きっとこの「友人らしさ」を感じて、そうおっしゃったのではないかと思います。

 3人それぞれの「友人の後任」について書かせていただきました。私は転居に伴う「別れ」を通じて、自分の思いを再認識しました。地域に知人・友人として彼らと関わる人が増えてほしい。そうすれば、私が自分のことを過大評価することもありません。
「引っ越すんだ。寂しいな。元気でね。たまに会えるといいね。連絡ちょうだい。じゃあね。」
・・・それだけ。普通の友人と同じように。そして、彼らは別の友人と今までと同様に普通に暮らす。そんな社会になってほしい。改めてそう考えました。

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