上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2015.05.25 活動の原点
第3章 同じ時間を過ごす
 ~障害者施設で介助~


【1】活動の原点

 ボランティア休職の期間に入るにあたって、私は「まずは地元の障害のあるひとと直接ふれあう機会を十分につくろう」と考えました。それまでも、障害のあるひととふれあう機会は何度もありましたが、単発の活動だったため、まだ自信のようなものがありませんでした。そこで、地元の障害者施設にほぼ毎日通うことにしました。
 その施設は、自宅から徒歩15分の所にある知的障害者通所更生施設(当時)です。選んだ理由は「ただ家から近いから」。後で気づくのですが、この施設はとても素晴らしいところで、最初にここに通うことができて、私は本当に幸運だったと思います。
 
 施設の概要は、次の通りです。
・在宅の知的障害者に日中活動の場を提供し、各種の支援を行なう施設。
・職員約20名。利用者約60名。18歳以上の成人。年齢・障害の内容・重度はさまざま。
・作業を中心とした日常活動と、クラブ・委員会・サークル活動等を行なう。

 日常の活動は、作業内容によって7つのパートに分かれて活動していました。私は全てのパートに参加させていただきました。
①「屋外作業」(地域清掃、木工、園芸、空缶作業)
②「室内軽作業」(ウォーキング、部材組立て、空缶作業、音楽)
③「織物」(結び織、機織、クロスステッチ、ミシン)
④「食に関する活動」(昼食の配膳、パン・惣菜の調理・販売)
⑤「屋外作業」(空缶作業、部材組立て、缶回収・納品、園芸)
⑥「陶芸」(粘土作り、作陶、仕上げ)
⑦「デイサービス」(陶芸、手芸、織物、屋外作業)

 日常の活動以外にも、さまざまな活動に参加させていただきました。
 クラブ活動が週1回あって、ソフトボール・美術・音楽・散歩・体操・ワープロのクラブに参加しました。また、施設の運営に利用者さんが主体的に関わることを目的として、8つの委員会が月1回程度の活動を行なっていました。私は、余暇・販売・広報・旅行・放送の委員会に参加しました。ちょうど、利用者自身による初めての自治会役員選挙が行われるときで、その準備会合にも同席させていただきました。
 イベントやサークル活動といったレクリエーション行事も多数ありました。サーカス・ボーリング・水族館に出掛けたり、中華料理をみんなで作って食べたり、知的障害者運動競技会の応援や障害者の美術作品展覧会に行ったりもしました。その他にも、作業で組み立てた建築部材や、木工・陶芸等の作品を納品に行ったり、近隣の公園のボランティア清掃活動、利用者さんと私の誕生会など、本当にいろんなところに利用者さんと出掛けて、さまざまな活動を経験させていただきました。
 昼食は、施設の食堂で利用者さんと一緒に同じ給食を食べて、食後の昼休みには毎日利用者さんと野球をしていました。後半になると、休日にプライベートで利用者さんと千葉マリンスタジアムでプロ野球観戦したり、数人とボーリングに行くようになりました。
 この施設はグループホーム(当時)も運営していて、施設の利用者さん4人が世話人さんと一緒に共同生活をしていました。施設での活動終了後に何度かグループホームを訪ねて、利用者さんと一緒に夕食を調理して食べたり、部屋で利用者さんと話をしたりして過ごしました。

活動の原点

 最初は「どうとけこむか。どう役に立つか。」と力が入りすぎていましたが、利用者さんと一緒に自然に活動するように心がけた結果、思ったより早く人間関係を広げ、深めることができました。毎日の利用者さんとのさまざまな関わりを通じて、彼らがどんな日々を過ごしどんなことを感じているかが、だんだんわかってきました。ある利用者さんが、ある日突然私を受け入れてくれて、嬉しいやら戸惑うやらという経験(後述します)をしたり、別のひととは連絡ノート(交換日記のようなもの)をやりとりして急に距離が近づく、といったこともありました。
 そんななかで強く感じたことは、「たくさんの利用者さんは、それぞれ個性と特徴をもったひとりの人である」ということでした。障害の種類・重度の違いのみならず、年齢・環境・好き嫌い・得意不得意などもひとりひとり異なる。周りの人と共通点と相違点がある「ひとりの人」であることに、自分となんら変わりない。あたりまえのことですが、利用者さんと同じ時間を過ごしていくにつれて、そう思うようになっていきました。

 一方で、この施設はとても素晴らしいところだということに、だんだん気づいていきました。職員さんは熱意と良識があって、利用者さんも満足している様子でした。利用者さんをひとりの成人として尊重し、本人の視点でその意思を重視していました。情報開示にも積極的で、施設外からの意見を常に歓迎していました。
 しかし、全く外の世界から突然やってきた私から見ると、「福祉の世界はまだ閉じている」と感じました。職員さんには家族に福祉関係者をもつひとも多く、ボランティアも福祉就職を目指す人が目立ちました。地域との関係は大変良好でしたが、作業の依頼元や協力者は限られていました。社会への啓発・交流等のさらなる働きかけが、必要だと改めて感じました。
 そんな中で、初めての長期ボランティアである私に、施設長から提言を求めらました。「外から見て、もっとこうしたらいいのではないか、ということを遠慮なく言っください」とおっしゃるのです。そこで、会社に提出する「活動報告書」を職員さんで回覧してもらいました。さらに、施設の広報誌に提言を寄稿させていただきました。(寄稿内容は後述します)

活動の原点2

 もうひとつ、ボランティアの役割について考えることも多かったです。施設側はボランティアに労働力を期待せず、地域の理解促進、外部視点の導入、利用者への刺激を目的として受け入れていました。最初の頃、トイレ介助を申し出たところ、施設側から「利用者さんのプライバシーの観点から、お願いできない。」と断られました。これまでのボランティア経験では、会ったその日にトイレ介助を行なっていましたが、利用者視点から考えれば不適切だったかもしれません。
 ボランティアのすべきことと、すべきでないことがある。ではボランティアとは何か。自分には何ができるのか。それは、支援者でも家族でもない『近所のおじさん』として、利用者・自分の双方に意味がある人間関係をつくることではないか。利用者と「一般の人」とのこの人間関係があたりまえになると、地域福祉社会が実現するのではないか。そんな風に考えるようになりました。

 楽しいばかりではありませんでした。それまでもボランティアの経験はそれなりにあったものの、まだまだ障害(特に知的障害)のあるひととどう接すればよいか不安がありました。そして、マンネリ・疲れ・迷いを感じるスランプの時期もありました。ボランティアは、自ら存在意義を見つけてそれを周囲に承認してもらう必要があります。私は自分の存在意義を自分なりに定義して、それを日々の活動で意識するよう心がけました。この「常に自分の意味づけが必要」というのはなかなか厳しく、それによる迷いと疲れに悩まされました。幸い利用者の笑顔と職員さんの協力に励まされて乗り越えられましたが、「ボランティアとは?」という永遠の疑問について、何度も考える機会になりました。

 このように、この施設での活動によって、ボランティアについての考え方のベースを得ることができました。これが、今でも私の「よりどころ」になっています。まさに「活動の原点」です。休職の最初にこのようにとても有意義なスタートを切れたのは、施設長をはじめ職員さん、利用者の皆さん、ご家族、近所の方々のおかげだと思います。心から感謝しています。

◆次ページへ
◆目次へ

※この記事の元記事(ブログ『ボランティア雑記帳』)
 活動の原点「S」(1)(2)(3)(4)(5)
スポンサーサイト
【2】初めて受け容れられた瞬間

 この知的障害者施設の関連のエピソードを、2つほどご紹介します。

 ひとつめは、比較的重い障害のある利用者さんに、初めて受け容れられた瞬間についてです。
 この施設で活動を始めたとき、一番最初は最も障害の重い利用者さんのグループに入れてもらいました。車椅子を利用する方が多く、食事やトイレの介助が必要な方がほとんどです。言葉によるコミュニケーションは、ほとんどできません。
 私はしばらくの間、どのように彼らとふれあえばよいのかわからないまま、過ごしました。手を繋いで散歩に行き、一緒に簡単な作業をし、隣でお茶を飲みました。これでいいのか、いけないのかもわからず。職員さんは「一緒にいていただければいいんじゃないですか」と、優しく見守ってくださいました。

<よく一緒に行った公園に咲いていた花>
千葉公園の蓮

 そのグループは、数人からなっていました。日によって、ふれあう利用者さんは違いました。私は一人ひとりと、「とにかく同じ時間を過ごすしかない」と思って、施設に通いました。「Sさん」は、そのグループの中でも「同じ時間を過ごす」ことが比較的多い人でした。彼は散歩のとき手を引く必要があるため、私が一緒に歩くことが多くなっていました。そして食事のときも、職員さんに教わったやり方で、簡単な介助をほぼ毎日していました。
 Sさんはときどき、独特の声をあげます。言葉にはなりませんが、心から湧き出てくるような声です。具体的に何かを表現しているわけではないかもしれません。でも、聞いている私も何か答えたくなるような声です。
 Sさんが声をあげたとき、最初は見守るだけでした。でも、そのうち彼に答えたくなってきました。そこで、私はSさんと同じような声を出したり、身体を軽くたたいたりして、「答え」てみました。散歩から帰ってきたあとの休憩時間など、しばらくそのやりとりをするようになりました。

 2週間くらい経った日でしょうか。そんなやりとりをしていたとき、Sさんは私の顔をじ~っと見つめました。斜め下から見上げるようにして。そして、私に向かって声をあげました。普段は誰に向かってということなく、独り言のように空中に向かって声をあげていたSさん。この日は、私を見て私に向かって声をあげていました。それを見た職員さんが微笑みながら言いました。
 「あ、SさんがGAMIさんを受け容れようとしてる」
 私は「え?そうなの?」と戸惑いながら、とても嬉しくなりました。確かにそれまでの様子とは違いました。彼にしてみれば、「なんだか最近よくそばにいるヤツだな」という程度の反応だったのかもしれません。でも、とにかく「私を意識してくれた」ということだと思います。
 私はこのときの職員さんの言葉を、今でもはっきり覚えています。この職員さんは、私のことを少し心配しながらも、毎日温かく見守ってくれていました。そして、この日の様子を見てSさんの変化に気づき、先ほどの言葉をかけてくださいました。職員さんも嬉しそうでした。

 前述の通り、私は既に何度かボランティアの経験はありました。障害の重い方の介助も少しだけしたことがありました。
でも、いつも単発で1日限りのおつきあいでした。ですから、この日の経験は私にとって初めてのことでした。毎日ゆっくり何度もたっぷりと、同じ時間を過ごした結果。「初めて受け容れられた瞬間」でした。

ごく普通の幸せな休日

 ふたつめのエピソードは、ごく普通の幸せな休日の出来事です。
 ボランティア休職から復職して、数年たったある日のことです。この施設には、復職した後もときどき遊びに行っていました。そしてバザーに行ったとき、「またどこか遊びに行きましょうか」という話になりました。約束の日の一週間前、電話で待ち合わせの場所と時間を決めました。
 当日は、「昼食→ボーリング→街歩き→お茶」とごく普通の休日を、みんなで楽しみました。事前に決めていたのは「ボーリング」だけで、あとはみんなで「お昼どこで食べる?」「次どうする?」と話し合いながら決めていきます。途中、小さなトラブルがあったりするのも、やっぱりごく普通の休日です。

 彼らは日常のことは自分でできますので、私が手伝うことはありません。「最近どう?」「職員さん元気?」「もち、たくさん食べた?」などと無駄話をしながら、一日を過ごしました。彼らとは一時期ほぼ毎日顔を合わせていたので、久しぶりに会っても心を許してくれます。私にとっては、充実して楽しかった頃のことを思い出しながら、彼らとのやりとりを楽しむのは、幸せな時間でした。彼らが私との時間を楽しんでくれている様子をみると、これもまた嬉しかったです。

 この頃私は既に、「ボランティア」「活動」という言葉に違和感を感じるようになっていました。そういう言葉はわざわざ必要なく、私たちは「ただ一緒に、ごく普通の幸せな休日を過ごしていただけ」でした。
 当時私は、引越をきっかけにプロ野球の千葉ロッテマリーンズのファンになっていました。この日、私は彼らに次回のお誘いをしたのですが、それは「私の野球観戦につきあってもらう」というものでした。「私が彼らが行きたいところにボランティアとして同行する」のではなく、「彼らと私が相談して一緒に行くところを決める。(私につきあってもらうこともある)」という形です。
 その後、私の活動スタイルは、「地域の友人として自然におつきあいする」という方向に向かっていきます。

◆次ページへ
◆目次へ

※この記事の元記事(ブログ『ボランティア雑記帳』)
 初めて受け入れられた瞬間
 ごく普通の幸せな休日
【3】福祉の世界は閉じないで

 前述した、この知的障害者施設の広報誌に寄稿した記事をご紹介します。

 この記事は、広報担当の職員さんから、「広報誌に載せたいので、福祉業界を外から見て感じたことを書いてほしい」とご依頼いただき、書いたものです。この施設は「外部の意見を積極的に聴こう」という考え方をもっていました。私への依頼も、その一環だと思います。
 私が記事を書いて「気になるところがあったら修正しますから、ご遠慮なくおっしゃってください。」と言いながら原稿を渡すと、職員さんは、「いえいえ、修正なんてしてしまったら意味がありません。書いていただいた原稿をそのまま掲載させていただきます。」とおっしゃいました。そのオープンな姿勢に、とても感銘を受けました。

<ケーキを作ったときの様子>
福祉の世界は閉じないで

*** 以下、寄稿した記事 ***

 食品メーカーの会社員ですが、2月から休職してボランティアとしてほぼ毎日通っております。こちらの施設は利用者尊重・情報開示が徹底していて、職員さんも熱意と良識があり、素晴らしい施設だと思います。さて、このたび「福祉業界を外から見て感じたこと」の寄稿をご依頼いただきました。誠に僭越ですが率直な気持ちを少し述べさせていただきます。

 今、私が一番感じていることは「(障害者)福祉の世界は閉じている」ということです。職員さんには家族に福祉関係者をもつ方が多く、ボランティアには福祉就職を目指す学生さんが目立ちます。福祉に関わる人はなかなか広がらず、「一般の人」からは一部の特別な立派な人達と考えられています。福祉は家族と専門家が行ない、「一般の人」は彼らに任せて無関心でいる、というのが現状でしょう。その結果、福祉が特別な世界になってしまっています。

 「一般の人」は「福祉の世界」のことをほとんど知りません。職員さんは利用者の力になろうと日々奮闘され、成果をあげていらっしゃいますし、福祉全体の改革も進められつつあります。でも、社会の福祉に対する理解はなかなか深まりません。「福祉の人」は、業務の何%を福祉の外との関わりに費やしているでしょうか。毎日の利用者との関わりや、他の「福祉の人」との調整に終始していないでしょうか。この記事も読者のほとんどは家族を含めた「福祉の人」だと思いますが、「広報」は関係者ではなく「一般の人」に向けて行ないたいものです。「福祉の人」はもっともっと「一般の世界」へ働きかけるべきだと思います。

 逆に、「福祉の人」は「一般の世界」をもっと知ってほしいと思います。以前、異業種交流研修や行政・民間合同研修に参加したことがありますが、異文化との接触はとても刺激的でした。また、福祉業界のような閉じた世界は、適正な競争による効率化の余地はとても大きいと思います。一般企業の激しい競争やスピード感もヒントにしていただけたらなぁと思います。

 えらそうにわかったようなことばかり書いてしまいました。私は数年前から少しボランティアをさせていただいただけで、福祉の専門知識も経験もほとんどありません。浅はか、見当違い、失礼、と感じられるかもしれませんが、今回は「素人だから意味がある」ということで、何卒お許しください。今回は「福祉業界を外から見て感じたこと」というテーマでしたが、「福祉の外」がなくなるのが理想でしょう。さまざまなひとびとが認めあう社会になるために、福祉の世界が開いていってほしいと思います。私も微力ながら「福祉の世界」と「一般の世界」の掛け橋になっていきたいと思います。

*** 以上、寄稿した記事 ***

 当時、感じたままを書かせていただき、それをそのまま掲載していただきました。

◆次ページへ
◆目次へ

※この記事の元記事(ブログ『ボランティア雑記帳』)
 福祉の世界は閉じないで
2015.05.25 思いは確信に
【4】思いは確信に

 知的障害者の施設に5ヶ月間通った後、今度は身体障害者の施設に5ヶ月間、週2~3回通いました。2年間の休職期間のうち、前半の1年間はとにかく障害のあるひとと一緒に過ごす時間をたっぷり取りたかったからです。

 さて、この施設の概要は、次の通りです。
・身体障害者(成人)の療護施設。
・福祉ホーム、デイサービス、短期入所、ホームヘルパー派遣等の事業も行なう。
・施設利用者約100名(内入所者30名)。
・知的障害との重複障害者や車椅子使用者が多く、難病の利用者もいる。

思いは確信に1

 活動内容は、日常生活の介助と活動支援を中心でした。日常生活の介助とは、車椅子・歩行による移動の介助(施設内・外出)や車椅子への乗降、歯磨き、入浴後のドライヤー、整髪、髭剃り、喫煙、パソコン操作などです。ほとんどの利用者は食事介助が必要で、職員さんと一緒に毎日介助を行ないました。昼食、間食、水分摂取(朝食後・午前・昼食・午後)等です。介助の方法はひとりひとり異なり、その都度職員さんに確認しながら行いました。
 活動支援ですが、施設では曜日によって、スポーツ、パコソン、音楽、調理、創作活動(手芸・紙すき・たまご細工・装飾作り)など、さまざまな活動を行なっていました。利用者さんを介助しながら一緒に活動し、準備や片付けなどの支援を行ないました。また、施設内外で行なわれたイベントの準備と当日の介助も行ないました。(文化祭、音楽発表会、もちつき大会等)
 その他、施設内の清掃、居室の入替、食器洗い、消耗品の補充などの雑用や、個別の利用者さんとゆっくり会話したり、ゲームをしたりという時間も過ごしました。

 活動を通じて、身体障害のあるひとの生活についての理解が深まりました。重度身体障害者は知的障害のある人も多く、日常生活介助(食事・排泄・入浴等)の必要性が高いため、多数の職員が必要であること。多数の職員が交代で勤務するため、情報の共有化と確認が重要であること。職員は介助に追われることが多く、利用者の能力開発などに注力しにくい状況があること、などです。この施設は親の会が母体の新しい施設であるため、先進的な取組みも行なわれていました(個室、小規模なユニット制の運営、地域交流スペース、充実した介助設備)。多数の利用者さんのさまざまな介助を経験し、障害と介助方法はひとりひとり違うことを改めて認識しました。

 利用者さんとの関係づくりにあたっては、知的障害者施設と同様に心を開いて接することに留意しました。このことは、障害の有無や種類・重度にかかわらず基本であると、思っていました。この時は直接介助が必要なだけに利用者さんとの信頼関係は重要で、早めに関係づくりができたことは自信につながりました。利用者さんは、しだいに私とのやりとりを楽しむようになり、私もそれが楽しんでいました。
 職員さんとの信頼関係も深めることができました。職員さんは私に一定の役割を期待するようになり、私はそれに応えるよう努めました。
 誰にでも得意不得意があり、その意味で障害のあるひとも自分となんらかわりない。この事実を理解できれば、あとは友人や同僚との人間関係を築くことと基本的に同じである。このことは知的障害者施設での活動で感じたことと同様であり、障害のあるひととのふれあいの基本であることを確信しました。「こういうことかな」という思いが、この活動を通じて「やはりそうなんだ」という確信に変わった、と言えると思います。

思いは確信に2

 ボランティアの役割についても、いろいろと考える機会がありました。知的障害者施設はボランティアに労働力を期待しておらず、地域の理解促進、外部視点の導入、利用者への刺激を目的として私を受け入れていました。しかしこの施設では上記のような現状から、ボランティアにもある程度労働力を期待しています。そのため、人手不足の現場に労働力として役に立つ一方で、ボランティアならではの領域(プラスアルファ)で、利用者の要望に応えるよう心がけました。
 具体的には、次の通りです。
・技術的に可能な介助は積極的に行なう(食事介助・移動介助)。
・プライバシーに関わる介助(排泄・入浴)は施設と相談のうえで行なう。
・イベントの準備や雑用もできることは積極的に引き受ける。
・そのうえで、多忙な職員にはできないプラスアルファ(ゆっくり話し相手になる、好きな遊びにつきあう、など)に取り組む。

 もうひとつ、施設ボランティア以外の活動も、意識するようになりました。施設を出て自立することを目指している利用者さんと話をするなかで、地域で生活するひとの支援活動への興味も湧いてきたのです。当初の計画は施設での活動をメインとしていましたが、実際に活動していると障害者福祉の「施設から地域へ」の流れとその必要性を感じました。そして、ボランティア休職後半の1年間は、施設以外の活動に軸足を移していくことになります。

 この期間、いろいろな立場のひととの出会いも多く、たくさん刺激をもらいました。
 異業種から転職した職員さん、ヘルパー資格取得中の主婦実習生、囲碁ボランティアのリタイヤ男性、NPO設立計画中の中年男性実習生など、それぞれ経歴や展望をもち奮闘していました。私も自分のことを話すと興味をもって聴いてくれました。福祉就職を目指す若い実習生の方に、「若輩者が僭越ですが、人生の途中でも気づいて行動することが大切だと思います。」と言われたことが印象に残っています。

 私はこの施設での活動を通じて、信頼関係づくりについての自信を深めました。これまでの活動で得たものが、間違いなかったと思えたからです。そして、食事介助をはじめとした直接介助も経験でき、身体障害や重複障害への理解も深まりました。さらに、施設だけでなく地域での生活を支援することの必要性を感じ始めたのも、この活動を通してでした。
 このように、私はここから少しだけ自信をもらい、このあとの活動へのヒントももらった、と言えると思います。それも、私を受け入れてくれた利用者さん、ご家族のおかげです。そして忙しいなか、素人の私に「いろはのい」から教えてくださった職員の皆さんにも、心から感謝しています。

◆次ページへ
◆目次へ

※この記事の元記事(ブログ『ボランティア雑記帳』)
 自信となった活動「M」(1)「活動内容」
 自信となった活動「M」(2)「成果と感想」
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。