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第8章 私の思い
 ~あなたはどう思いますか?~


この章では、「ボランティア」「障害」について、私の思いを語ってみます。確信であることは少なく、迷いを含んだ思いです。ですから、最後に「あなたはどう思いますか?」と問いかけます。恐らく唯一の答えはないのだと思います。皆さんと私は思いが違っ

てあたりまえ。私は自分の思いを語り、皆さんの思いにも耳を傾ける。そして刺激し合って、場合によっては考えを少しずつ変えていく。それでいいのだと思います。

【1】ボランティアとは?

『ボランティアとは?』

 「ボランティアとは何か?」「これはボランティアなのか?」「そんなのはボランティアではない。」
 「ボランティア」にあたる日本語がなく、一般的に使われ始めてからまだ歴史がありません。そのため、いろいろな解釈があったり、さまざまな意味に使われたりしています。学問としてボランティアを研究している人もいるそうです。

 さて、私がやっているのは「ボランティア」なのでしょうか?「ボランティア4原則」(第10章参照)には、だいたいあてはまるような気がします。でも、私は「まさにボランティア」をしているつもりはありません。
 日曜の朝、家族に「今日はボランティア?」と聞かれると、「うん」と答えるのですが違和感があります。コミュニティフレンドで荒木さんと会ったあと報告書を書いていて、「活動」とか「ボランティア」という言葉を使うとき、「もっと適切な言葉はないのかなぁ」と思ってしまいます。木村さんと写真撮影に行ったり、大山さんたちとポーリングに行ったりするのは、「ボランティア」といえばそうかもしれませんが、私の好きなプロ野球を一緒に観に行くのは「ボランティア」でしょうか?もっというと、このブログの名前「ボランティア実践ノート」も、実は私にとってはピンとこないのです。
 私はやりたくてやっていて楽しい。相手もそれを望んでいて受け入れている。それだけです。「ボランティアとは、両方OKなこと」どこでかに、そう書いてありました。

 いずれにしても、「ボランティアとは?」を語ることは、それほど大切なことではないように思います。むしろ、「それは両方OKか?」「それでみんなHAPPYか?」が大切であって、それを「ボランティア」と呼ぶかどうかは、各自が決めればよいと思います。あなたはどう思いますか?

・ひととき

『ボランティアはエラくない』

 TV番組や新聞報道に登場するボランティアは、概ね次のように描かれます。
 「正義感や責任感から活動している」「自分を犠牲にして他人のために働いている」「優しい心と強い信念をもっている」「普通の人にはできることではない」

 はたして実際にボランティアの類のことをしている人達は、このような人ばかりなのでしょうか。一部の項目に該当する人もいると思います。しかし、全部あてはまったらその人は聖人君子です。ボランティアは、そんなにエラい人ではないのでは?
 多くの人はこんな感じではないでしょうか。
 「ちょっとしたキッカケで始めた」「自分にできることをやっている」「やっていて楽しい」「誰にでもできることだ」

 私はまさにそうです。でも、自分だけを基準に考えてはいけませんね。もっとスゴイ人もいると思います。ただひとつ言えるのは、TVで描かれている「エラいボラ」ばかりではないということです。
 「明るく前向きに頑張っていて障害を乗り越えた障害者」ばかりではないのと同様に、「正義感あふれる優しい心で自己を犠牲にして奮闘するボランティア」ばかりではないのです。「愛される障害者像」によって、実際の障害者が生きにくいと感じることがあるのと同様に、「エラいボランティア像」によって、実際のボランティアが活動しにくいと感じることもあるように思います。
 障害者もボランティアも「頑張って」と声をかけられる。別に頑張ってるわけではないのに。
 「エラいですね」「普通できませんよ」→「エラくありませんよ」「楽しくてやってますので」「一緒にやりませんか」→「いやあ、私にはとてもとても」→(違うんだけどなあ・・・)

 残念なのは、ボランティアを難しいことだと思われてしまうことです。誰にでもできることだし、できることをすればいい。みんなが少しずつすると、社会全体が変わるのに。そして自分自身も変われるのに。
 自然に力を抜いて、楽しんで活動しているボランティアを、もっと描いてほしいものだと思います。あなたはどう思いますか?

・珈琲とデスク

『ボランティアをする?』

 「ボランティアをする」と言うことがあります。「ボランティアをしています」「ボランティアをしませんか?」「ボランティアをやってみたい」
 でも、「ボランティアをする」は、不思議な言葉のような気がします。
 「ボランティアトピックス」という情報誌が届きます。「ボランティア講座」が開かれることがあります。大学には「ボランティアサークル」があります。やっぱりなにか不思議な感じがします。

 私も初めて「ボランティアをした」ときは、「ボランティアをした」と思いました。その後も「ボランティアを続け」、休職して「ボランティアばかりする」2年間を過ごしました。
 復職して思いました。「ボランティアの楽しさ」を伝えよう。地域で「ボランティアをする」人を増やしていこう。そして「ボランティア雑記帳」というブログを始めました。
 でも「ボランティアをする」って何をするのでしょう?

 私はしだいに「ボランティアをする」という言葉に、違和感を感じ始めました。私は「ボランティアをしている」のではありません。
 地域に住んで、仕事をしながら、障害のある人と、友人としてのつきあいを続けながら、障害のある人は特別な人ではないことや、人はみな共通点と相違点があるだけのことだということを伝えていく。
 私は「そういうことをしている」のです。
 「ボランティア」は、そのための手段、または形態、あるいは立場のようなことを説明する言葉です。「~~をする」という動詞の目的語にはなりえない言葉です。だから「ボランティアをする」という言葉は不思議な感じがするのではないでしょうか。

 「パソコンをする」という言葉に似ています。「彼は部屋でパソコンをしている」「彼女は家に帰るとパソコンをする」「パソコンばかりしていないで勉強しなさい」
 「パソコン」は手段であり、目的ではありません。パソコンで何かをしているはずです。「(パソコンで)メールを読む」「(パソコンで)ショツピングをする」「(パソコンで)遊園地の場所を調べる」「(パソコンで)レポートを書く」

 私も最初は「ボランティア」を目的だと勘違いしていました。初めてのボラのとき、「ボランティアは楽しい」と思いました。でも本当は「障害のある人とディズニーランドで一日過ごすことが楽しかった」のです。「ボランティアが楽しかった」のではありません。
 別にどうでもいいことかもしれません。でも、私はずっと気になっていました。あなたはどう思いますか?

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※この記事の元記事(ブログ『ボランティア雑記帳』)
 ボランティアとは?
 ボランティアはエラくない
 ボランティアをする?
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2015.06.05 障害とは?
【2】障害とは?

『生まれ変わっても…』

 心に残っている言葉があります。どちらも、地域で出会った人から聞いた言葉です。

 「生まれ変わっても、この人生がいい。家族をはじめとして、たくさんの人に支えられて、とても幸せだから。」<中途失明した女性>

 「今度子どもをもつとしても、この子がいい。障害はあるが、いいところもたくさんある、この子が大好きだから。」<知的障害のある息子をもつ母親>

 障害のある人を「かわいそうな人」「不幸な人」と思う人は、まだ多いようです。もし障害のある人が「不幸な人」だとしたら、「生まれ変わったら、違う人生がいい」と思うに違いありません。しかしこの人達は、「生まれ変わっても、この人生がいい」と明言していました。
 もちろん障害のある人には、幸福な人と不幸な人がいるでしょう。障害のない人にも、幸福な人と不幸な人がいるように。でも、「障害のあること=不幸なこと」ではないということでしょう。

 障害は不便ではあっても、それ自体は不幸ではない。障害者は「かわいそうな人」ではない。障害を理解されないことが不幸である。
 言葉ではわかっていました。でも、このお二人の言葉を聞いて、これらのことが私の胸にストンと落ちました。そして、理解を広めることの大切さを、改めて感じました。あなたはこの話を聴いて、どう思いましたか?

・おしゃれなテラス2

『一人で異国へ行ってご覧なさい』

 自分とは異質な人を見ると、とまどってしまいます。あそこが違う、ここも違う、違うところだらけ。自分は普通なのに、どうしてこの人はこんなに特別なんだろう。こんなに変な人とは一緒にいられない。そんな風に感じてしまいがちです。
 でも、本当にその人は「変な人」なのでしょうか。本当に自分は「普通の人」なのでしょうか。

 異国に行ったら、どんな感じでしょうか。そこには「変な人」がたくさん。あそこが違う、ここも違う、違うところだらけ。周りは「変な人」ばかり。
 いいえ違います。「変な人」は自分なのです。気づくとそこでは、自分が一番異質です。周りの人は自分を見て、「変な人」だと思っています。あそこが違う、ここも違う、違うところだらけ。自分は普通なのに、どうしてこの人はこんなに違うんだろう。こんなに変な人とは一緒にいられない。周りの人は、自分を見てこんな風に感じているかもしれません。

「異質」「特別」「普通」とは、何なのでしょうか?

 休職していた頃、ニュージーランドの知的障害者のグループホームに6週間住み込みでボランティアとして働いきました。そのとき、このことを痛感しました。言葉も文化も民族も価値観も違うコミュニティで、彼らは私を「違うけれども同じひと」として受け入れてくれました。居住者のひとりは、私のことを「言葉もよくわからず、現地のことをよく知らない、助けてやらなければいけないヤツ」と認識して、いろいろと気を遣い、指示し、教育してくれました。現地で最も異質だったのは間違いなく私であり、知的障害のある彼らではありませんでした。

 海外旅行に行ったときに、このことに気づいた人もいると思います。でも、家族や友人と一緒だとそれほど感じなかったかもしれません。同質の人といると、自分の異質性に気づきにくいのでしょう。
 できれば一人で異国に行ってみる。そしてしばらく暮らしてみる。するとわかってきます。「異質」「特別」「普通」とは何なのかが。
 自分を普通だと思っている人には、お勧めします。「一人で異国に行ってご覧なさい。」

・テラスで食事

『障害者に勇気をもらったことはない』

 「障害者がハンディと闘いながら、それを乗り越えて頑張っている姿に、勇気をもらいました。」・・・TVのドキュメントなどの感想として、よく聞かれるコメントです。しかし、私は「障害者」に勇気をもらったことはありません。

 「障害者」から勇気をもらう心理は、次のようなものではないでしょうか。

・障害者は毎日大変な思いで生きている
・常に誰かの助けが必要で一人では何もできない
・何をするのも不便で希望など持てるはずがない
・自分だったら毎日泣いて暮らすだろう

・それなのにこの人は頑張った
・毎日血のにじむような努力をした
・普通の人より断然不利にもかかわらず
・本当に凄いことだ

・障害者はみんな頑張っている
・純粋で欲がなく美しい
・感謝の気持ちを忘れずに謙虚である
・障害があってこんなに不幸なのに

・それに比べて私はどうだろう
・障害者でもないのに不満ばかり言っている
・障害者でさえ頑張ればあそこまでできるんだ
・私も頑張らなければいけない

 障害のある人が頑張ることを否定するつもりはありません。その人が自分をとりまく環境で、工夫したり努力して結果を出したのなら、それは間違いなく素晴らしいことですし、賞賛されるべきことです。ですから、私は「その人」が「そうしたこと」を素晴らしいと思いますし、勇気をもらうこともあります。しかし私がその人を素晴らしいと思うとき、「その人に障害があったから」そう思うのではありません。ですから、私は「障害者」が頑張ったことで勇気をもらったことはありません。障害者という言葉に「 」をつけたのは、そういう意味です。

 人権関連の研修で、次のような話を聞いたことがあります。
 北欧の国に行った日本人が、「障害者の画家を取材しているのだが、紹介してもらえないか」と福祉関係者に頼んだところ、こう言われたそうです。「画家で障害のある人はいますが、障害者の画家はいません」。その人は画家として評価を得ているのであり、障害があるかどうかは直接関係ない。どうして「障害者の画家」を取材したいのか理解できない、ということでしょう。

 「障害者」に勇気をもらう心理には、次のような前提があるように思います。「障害者は不幸である」「能力が低い」「環境が不利である」
 果たしてそうでしょうか。障害があっても、幸せに暮らしている人もいます。能力が高い人もいます。恵まれた環境にいる人もいます。もちろん、全員ではありませんが。
 「障害者」は全員不幸でも全員幸福てもありません。「健常者」が全員不幸でも全員幸福でもないように。全員有能、全員恵まれている、も同様です。

 「障害者」が頑張ったことではなく、「その人」が頑張ったことをそのまま賞賛したい。そんな風に思います。あなたはどう思いますか?

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※この記事の元記事(ブログ『ボランティア雑記帳』)
 生まれ変わっても…
 一人で異国に行ってご覧なさい
 「障害者」に勇気をもらったことはない
2015.06.05 私の夢
【3】私の夢

 2000年にボランティアを初めて、2003年から2004年にボランティア休職を取得し、復職してしばらく経った2008年に、当時の「私の夢」を書いた文章があります。あれから7年が経過し、気持ちは少し変化しています。しかし、根本にある思いは変わりません。ここでは、その「私の夢」をご紹介します。
 そんなに大それたことではありません。しかし、そう簡単なことでもありません。だから「夢」です。すぐには無理だけど、いつか実現したい。そんなことです。

・家と花畑

『思い』

 世の中にはいろんな人がいる。誰かが普通で、誰かが特別なのではない。お互いに共通点と相違点がある。それだけ。それを伝えたい。
 障害のある人もない人も、「ただの人」として共に生きる。近所の人や友人として、あたりまえにつきあう。そんな人を増やしたい。

 福祉の世界は、閉じてほしくない。福祉だけが社会じゃない。福祉の外に伝えなきゃ。
 いろんな人、たくさんの人に伝えたい。でも、いっぺんには無理。誰に伝えるか。子どもは、知る機会が増えている。でも大人は、知らなすぎる。大人に伝えなきゃ。
 なかでも勤労者。社会の中心で、活躍する人達。この人達が、一番知らない。でも、気づけば大きい。潜在的な力を持っている。
 私自身が勤労者である。働きながら、障害のある人とのつきあいを続けている。私が勤労者に伝えなくて、どうする。
 ⇒ 勤労者に伝えよう

 私は、勤労者の実践者としては伝えるられる。でも、障害のある人のことも伝えなきゃ。それは、本人(当事者)自身が伝えるのが一番。→当事者の力を借りよう。
 当事者も伝えたいはず。もっと伝えたい。理解してほしい。でも、聴いてくれない。機会がない。→私が機会を作ろう。
 福祉の世界の人も伝えたいはず。もっと理解してほしい。参加してほしい。でもどうやって?誰に頼めばいいの?→私が橋渡しをしよう。
 ⇒ 当事者と共に伝えよう

 私は、企業や勤労者の世界を、知っている(それなりに)。私は、福祉や当事者の世界も、知っている(少しだけど)。私なら、企業・勤労者と福祉・当事者の橋渡しができる。
 これは、私にしかできない。…は言い過ぎだろうけど、できる人は限られている。思いあがりかもしれないけど。私がやらなくて、どうする。
 ⇒ 私が橋渡しをしよう

 伝えた後どうする?伝えただけでじゃ、仕方ない。実践してもらわなきゃ。体験して、感じて、考えて、理解する。そして、「ただの人」としてあたりまえに共に生きる。
 ⇒ 実践する場が必要。

 <目覚めた勤労者>わかった。やってみたい。自分にもできるかもしれない。でも、どうすればいいかわからない。どこで誰と何をすればいいの?どうしたらできるの?わからないから、できない。→勤労者は、地域のことをあまり知らない。
 <福祉の関係者>もっと一般の人に、わかってほしい。もっと地域の人に、参加してほしい。でも、どうすればいいかわからない。どこで誰に話せばいいの?どうしたら参加してもらえるの?わからないから、広がらない。→福祉の世界はあまり開かれていない。
 目覚めた人を、活動の場に連れてかなきゃ。伝えること(啓発)と、やってみること(実践)を繋げなきゃ。目覚めたときがチャンス。これを逃したらダメ。最初から仕掛けを作っておこう。そして、それに乗せていこう。
 ⇒ 啓発から実践への仕掛けを作ろう

 実践の場はたくさんある。でも形や内容はさまざま。自分には何ができるの?この活動には、どんな人が向いてるの?誰をどこに連れて行けばいいの?→コーディネート、カウンセリングが必要。
 地域でさまざまな活動に関わってきた(それなりに)。集まりやブログでネットワークを広げてきた(皆様に感謝)。ボランティアの喜びや難しさを知っている(そのつもり)。福祉の世界の期待や苦しみを知っている(少しだけど)。→私なら、実践(活動)の場を紹介できる。相談に乗れる。
 これは、私にしかできない。…は言い過ぎだろうけど、できる人は限られている。思いあがりかもしれないけど。→私がやらなくて、どうする。
 ⇒ 実践をコーディネートしよう

 「勤労者に伝えよう」「当事者と共に伝えよう」「私が橋渡しをしよう」
 「伝えたあと、実践する場が必要」「啓発から実践への仕掛けを作ろう」「実践をコーディネートしよう」
 ⇒ 勤労者に伝えて、実践に結びつけよう

 これが私の思いです。

・笑顔のおうち

 『プランのようなもの』

1.啓発活動
 プランの中心は啓発活動です。知ってもらうことです。
 世の中にはいろんな人がいる。誰かが普通で、誰かが特別なのではない。お互いに共通点と相違点がある。それだけ。そのことを、知る→考える→気づく。

 啓発活動は、これまでも全国で行われています。そのなかで、自分の強みと思いを活かすには、次の点で特色ある活動にしたいと考えています。
(1)勤労者をターゲットとする、(2)企業・行政の組織を活用する、(3)当事者とともに実施する、(4)実践に結びつける

(1)勤労者をターゲットとする
 次のような場面で、実施の可能性があると思います。
①業務上の必要に由来する研修
 ・サービス業
  小売業(デパート・スーパー・コンビニ)、飲食業(ファミリーレストラン・ファーストフード)、交通機関(鉄道・バス・タクシー・航空・空港)、金融機関(銀行・郵便局・証券会社)、レジャー施設(テーマパーク・動物園・野球場)
 ・行政
  自治体(窓口、都市計画、公共施設)、警察・消防、公立・私立の教職員
②従業員の多様化に由来する研修
 障害者雇用が増えている企業、特例子会社、グローバル企業
③従業員の教育に意欲的な企業
 従業員の自己啓発の支援、従業員の社会貢献活動の支援、組合による勉強会

(2)企業・行政の組織を活用する
 組織を活用することで、機会を増やせる可能性があると思います。
 ①企業の人事・総務・社会貢献・CSR部門、②業界団体、経済団体、③組合、④自治体職員教育部門、⑤ハローワーク、障害者雇用支援機構他

(3)当事者とともに実施する
 障害のある当事者に、講師になっていただきたいと思います。「知らない≒ふれあいがない」です。
 ①ありのままの自分を、語っていただく。②相違点というより、共通点に気づいてもらう。③お互い「ただの人」であることを、感じてもらう。④そのうえで、当事者自身が必要なサポートを説明する。

(4)実践に結びつける
 啓発だけでなく、そのあとの実践への情報と機会をセットで提供したいと思います。

2.実践のコーディネート
(1)メニューの提示
 啓発活動で、受講者が「何かやってみたい」と思ってくれた瞬間がチャンスです。なかなか巡りあえない、最大のチャンスです。ここで、「何か」のメニューを提示できるかどうかが、成否の分かれ道だと思います。
 メニューの内容は、次のようなものが考えられます。
 ①市民活動・NPO、②施設・作業所、③支援を求めている個人、④支援を行っている個人、⑤事業所、⑥イベントへの参加
 メニューの提示では、これまでお世話になった皆様との、ネットワークを活かしたいところです。
 私が参加している(た)活動、通っていた施設、知人・友人が参加している活動、知人が勤務・関係している施設・作業所、私が友人としておつきあいしている個人、個人として活動している知人
 「世の中にはいろいろな活動があるようですから、探してみてはいかがですか?」だと、探し方もわからず不安も大きいので、次のステップに進めない人が多くでてしまいます。啓発活動の最後に、具体的なメニューを紙で配布して、「この中から選んで、とにかく試しにやってみましょう。」と伝える必要があります。

(2)参加者と受入側の橋渡し
 連絡先を教えて「連絡をとってみては?」だと、また次のステップに進めなくなってしまいます。「私が紹介します。一緒に活動を見学してみましょう。」という、紹介と同行が大切だと思います。
 参加者も不安なら、受入側も不安です。ボランティア団体のコーディネーターの経験から、両者のミスマッチやすれ違いをたくさん見てきました。お互いに理解しあうことが大切で、私がその橋渡しをできればと考えます。

(3)参加後のフォロー
 活動が合わなければ、他のメニューを紹介します。楽しく参加することが大切です。しばらく活動してみて、新たな関心事や夢をもつこともあるでしょう。私もそうでしたが、一人で探しました。こんなとき、相談できる人がいると貴重です。
 受入側のフォローも必要です。参加者が気がつかなくても、受入側が違和感を感じたり困っていることもあります。特に個人同士の場合、なかなか相手に言えない場合もあります。そのあたりをフォローする人がいると、関係が円滑になると思います。

(4)関係組織の協力
 ボランティアセンター、各種の障害関連団体、行政などに、情報提供などの協力を得ることも必要になると思います。

3.情報発信
「1.啓発活動」と「2.実践のコーディネート」に共通することですが、こういった活動をしていることを、情報発信していくことも重要だと考えます。ネット、講演、イベント、出版、マスコミ…。規模や手段はともかく、伝えて広げて影響を及ぼしていく、そんなふうになれたらと思います。

・家の形のイルミネーション

 以上が「私の夢」です。
 地域の人(特に勤労者)に、参加してもらう仕掛けをつくりたい。「何かやってみたい」と思わせたらチャンス。そのチャンスを自ら作り、そしてそのチャンスを活かす。まず啓発講座を実施して、活動の場を提供する。そんな仕掛けと仕組みを作りたい。できれば「私ならでは」の部分を活かして。


 繰り返しですが、これは2008年時点の夢です。現在は気持ちは少し変化しています。根本の思いは変わりませんが、どのように実現に向けて進めていくかは、もう少し考えないといけません。しかしなんらかの形で夢は追っていきたいと思っています。
 そのためには、たくさんのひとのご協力をいただかないといけません。皆様、その節はご支援いただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。

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※この記事の元記事(ブログ『ボランティア雑記帳』)
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 夢(3)プラン(前) 夢(4)プラン(後)
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